二宮町ふたみ記念館

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二見利節年表

更新日:2015年11月3日

二見利節年表
西暦 年号 年齢 年譜
1911年 明治44年   10月29日 父二見喜三郎、母ナヲの次男として横浜に生まれる。本名は利次。本籍地は神奈川県中郡吾妻村(現在の中郡二宮町)山西565番地。
1918年 大正7年 7歳 父親が横浜市の尋常高等小学校の校長として赴任、家族と共に横浜に移り住む。
1923年 大正12年 12歳 11月 父親(42歳)が没する。二宮に戻り、吾妻尋常高等小学校(現在の二宮小学校)6年男組に編入する。
1926年 大正15年 15歳 吾妻尋常高等小学校高等科に進学する。東京日本橋の株式会社岡本弥兵衛商店に就職する。
1927年 昭和2年 16歳 東京の図案家の弟子として数ヶ月働く。銀座界隈での似顔絵描きや、看板描きの手伝いなどで生計を立てながら絵を描く。
1928年 昭和3年 17歳 銀座の〈千疋屋〉の集金の仕事を手伝う。これが縁で、後に恋人となる沢崎節子と知り合う。
1929年 昭和4年 18歳 似顔絵の批評をある画家に請い絵について諭される。郷里で画家に師事するよう勧められる。
1931年 昭和6年 20歳 昭和恐慌激化により、東京での生活を中止し二宮に戻る。
1932年 昭和7年 21歳 「相州美術協会」に参加する。井上三綱の弟子となる。
恋人沢崎節子が病死し悲嘆にくれる。これ以後「節子(ときこ)」の一字をとり「利節(としとき)」と名乗るようになる。
1933年 昭和8年 22歳 2月 第1回東光会展に「小女秀作」を出品し、公募展への初入選を果たす。
4月 第11回春陽会展に「温かい部屋」が初入選する。第20回展まで毎年出品する。
1935年 昭和10年 24歳 10月 第四回横浜美術協会展に入選する。
1938年 昭和13年 27歳 4月 第16回春陽会に出展「牡丹」入選。第16回春陽会賞を受賞する。10月 第2回新文展に「T子」で特選を果たす。12月 東京の杉並区和田本町にアトリエを借りる。
1939年 昭和14年 28歳 4月 第17回春陽会展に「三人の女」「うつぶせの女」「足を掛けた女」「鏡を持つ女」出展。「三人の女」が、秋田県の大地主でコレクターでもある平野政吉の買上げとなり、またこの縁で援助をうけるようになる。
秋 渡辺隆蔵(日本興業銀行理事)が後援会を組織し、作品頒布会を開く。このとき『二見利節後援画集』をつくる。
第三回新文展出品作「横たわる女」で、文展連続特選を果たす。
11月 第8回横浜美術展の審査員を務める。
1941年 昭和16年 30歳 10月 第四回新文展に「塔」を無鑑査出品。
12月 井上三綱の媒酌により赤井芳枝と結婚、二宮に新居を構える。
1942年 昭和17年 31歳 朝鮮に渡り、スケッチ旅行をする。
11月 応召、甲府連隊に入隊する。
1943年 昭和18年 32歳 4月 長女矩子が誕生する。
1944年 昭和19年 33歳 沖縄の石垣島に従軍中、米軍の大爆撃を受け右耳を負傷し、以降、難聴を患うようになる。
1946年 昭和21年 35歳 12月 沖縄より帰還する。
1947年 昭和22年 36歳 二宮に戻り松浦伯爵の別荘(在釜野)を借りてしばらく生活する。
9月 長男茂が誕生する。
1948年 昭和23年 37歳 原精一と共に、国画会会員になる。
1949年 昭和24年 38歳 国画会の梅原龍三郎と審査の方法をめぐって口論する。
1955年 昭和30年 44歳 7月 東京大丸で「二見利節素描展」開催。
12月 大磯町立図書館で「二見利節素描展」開催。
1956年 昭和31年 45歳 3月 アトリエが全焼し、作品の大半を焼失する。
1057年 昭和32年 46歳 杉岡辰男とアトリエを再建する。
1958年 昭和33年 47歳 二宮町公民館の新築記念に作品「花」を寄贈する。
この頃から、独自の画論「存在(ぞんざい)理論」を唱える。
1959年 昭和34年 48歳 妻芳枝と協議離婚。
1964年 昭和39年 53歳 モンドリアンの理論の研究と実践である作品、「規生」を制作する。
1965年 昭和40年 54歳 平塚美術協会(1951年発足)の展覧会にこの頃から毎年出品する。
1966年 昭和41年 55歳 日動画廊の援助により二階建のアトリエが造られる。
1969年 昭和44年 58歳 ヨーロッパ各地を巡る。
1971年 昭和46年 60歳 7月 平塚美術協会の相談役に古川恂、本荘赳と共に推薦される。
1972年 昭和47年 61歳 9月 日動画廊で個展を毎年開催するようになる。
1973年 昭和48年 62歳 8月 ギリシャ、トルコ、エジプトなどを巡る。
11月 母親(88歳)が没する。
1974年 昭和49年 63歳 3月 小田原市立病院に入院、乳がんと診断される。12月 「玄武蘇上」を平塚市に寄贈した功績で、紺綬褒章を受ける。
1976年 昭和51年 65歳 3月27日 小田原市民病院で没する。享年65歳。
10月 二宮町へ遺作26点を遺族が寄贈する。平塚市へ遺作354点を遺族が寄贈する。
1977年 昭和52年   1月 二見利節展‐その人と芸術‐(平塚市美術館)開催。
1996年 平成8年   1月 没後20年 二見利節展‐内なるものへの眼差し‐(平塚市美術館)開催。

 

参考文献 平塚市美術館資料

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