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二宮の温泉

更新日:2015年11月3日

二宮の温泉 100年前にも二宮に温泉旅館があった

ここの氏神二宮さまよ、ご利益(りやく)ありゃこそお湯が沸く、相州二宮よいところ。

 (これは)昭和10年(1935年)11月3日、二宮町制を寿いで、当時の町の名士で長老だった滝沢吉三郎氏(二宮のすたるぢぃ「別荘地としての二宮」の項参照)が詠った「旧二宮音頭」の一節である。

 確かに、今も相模二宮川勾神社の傍に温泉場の跡が残っている。神社上り口階段の前を左に折れて小田原市小船に至る道すがら、町市境の中村川付近の小さな崖の下の洞穴がそれである。明治から大正にかけてここに3階建ての温泉宿があり、沢山の客で賑わったと語り継がれている。湧泉温度は20度に満たなかったが、硫黄分を含んだ鉱泉は程よい湯加減に温められて湯船に溢れ、皮膚病や火傷によく効くと評判を呼んだのであった。

 しかし、大正12年(1923年)9月の関東大震災で建物が倒壊、同時に湧出量も減ってしまい結局は廃れてしまった。

 一方で川勾神社と吾妻山を隔てた1、7キロ東に位置する中里地区の打越川の川畔にも既に明治初め「薬師場」と称する温泉旅館があったが、いつの間にかなくなってしまったのであった。この跡地付近の明星神社前からは間歇的に17、2度の温泉が湧きだしたと昭和8年(1933年)12月19日付東京日日新聞が報じているが、結局この湧泉は企業化されず、温泉利用には至らずに終わってしまったようである。

 また、『二宮町史略年表』では、大正4年(1915年)10月7日付の横浜貿易新報が「二宮に白湯温泉開場」なる記事を報じていると記しているが、詳らかなことは不明である。この他釜野地区の畑地にも湯の華が出たという記録もある。

 それから暫くはこのように二宮の温泉は休眠の様相を呈し、太平洋戦中、戦後にわたるから50年間ほどは以上、町の人も温泉のことなど忘れてしまったような状況だった。

 それが平成元年(1989年)、町の事業家杉崎総業株式会社オーナーの杉崎惣一氏は中里中島地区秦野県道沿いでガソリンスタンド設置に際し洗車用給水井戸を掘ったところ、地下136メートルの所からはからずも温泉水(冷泉)を汲み上げた。温度は摂氏14,4度。特にナトリウムイオンや塩化物イオンに富み、いわゆる弱食塩泉に相当し、炭酸水素イオンの含有量も比較的多く、温度は低いながらも良好な泉質を有すると神奈川県温泉地学研究所長のお墨付きも得るところとなった。ちなみに、揚水量は1分間当たり67リットルであった。そして、汲みあげの深さからいって従来二宮各地域(川匂、明星神社前等)から出たのとは異なった泉脈のものであった。

 杉崎総業株式会社は平成2年(1990年)8月この温泉を企業化し1000坪の敷地を擁する保養施設「二宮温泉 セドル健康ランド」を開設した。

 この二宮温泉は、当時未だ西湘南地域にこの種の大衆保養施設がほとんど存在しなかったこと、また折からの温泉ブーム、カラオケブームとあいまって近隣地域の人たちにも人気を呼び大いに繁盛した。中には、箱根湯本の芸妓が二宮温泉はのんびりできるからとわざわざ出向き入浴、遊興していったこともあったとか。

 しかし、その後バブルが弾け、周辺に大資本による類似施設の乱立もあって、客足も次第に落ちるようになってきた平成17年(2005年)、地下水汲みあげに伴う地盤沈下が顕著になるにおよび同年12月末をもって15年間にわたる営業を終えたのであった。

参考文献

  • 『二宮町史略年表』 平成6年3月 刊 二宮町
  • 『二宮町近代史話』 昭和60年11月 刊 二宮町教育委員会
  • 『二宮町史 通史編』 平成6年3月 刊 二宮町
  • 『二宮町郷土誌』 平成47年3月 刊 二宮町教育委員会
  • 『温泉分析書(神奈川温研第683号)』 平成1年3月 神奈川県温泉地学研究所
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