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神奈川県蚕業取締所二宮支所

更新日:2015年11月3日

神奈川県蚕業取締所二宮支所 かつては県蚕業振興の拠点

 昭和初期まで日本の特産品だった生糸を紡ぎだす養蚕は昔から関東北部や甲信地方で盛んだったが、明治30年(1898年)代になると神奈川県内でも徐々に拡まった。絹織物の原料として欧米が高価格で輸入するようになったからである。

 しかし二宮においてはこのような動きに先駆けて、既に明治21年(1888年)に信州筑摩出身で中里村に居を構えた滝沢藤重郎という篤志家が、蚕生産の利得性に目をつけ養蚕普及に尽力したことで、二宮の養蚕業は大いに進展を見た。そして彼の没後、その志を継いだ内海並之助、また、蚕種作りに熱心な山西在住の脇伊三郎・金治父子が現れ、良繭を生む春蚕「湘南青熟」を開発した。更にこれは県立蚕種製造所による傑作種の秋蚕「相模」となって結実した。明治30年代に入り、二宮周辺の養蚕農家は100を越えたともいわれている。こうして西湘地区は県央の高座・愛甲地区、津久井地区と肩を並べる県内有数の養蚕エリアとなった。

 この間、明治19年(1886年)から農商務省制定の蚕種検査規則を受けて南多摩郡八王子町(当時は神奈川県の管轄)に置かれていた神奈川県蚕種検査所が明治36年(1903年)に横浜に移転。その2年後には愛甲郡厚木町に出張所を設けた。

 そして明治41年(1908年)9月、吾妻村山西に蚕業検査所山西出張所が開かれることになった。

 その後の蚕糸業法の施行で蚕種検査所は神奈川県蚕業取締所と改称。厚木町に本所が、吾妻村二宮に二宮支所が、津久井郡中野町に中野支所が設けられた。

 二宮支所の開設は大正4年(1915年)の4月7日。当初仮事務所を堂面の大応寺に置いて発足したが、同年11月19日に大応寺近くに求めた2100平方メートルの敷地(現在二宮診療所がある所:現在小松を植え込んだ石垣塀のみ残っている)に本庁舎を建て業務を開始した。

 管轄区域は中郡、足柄上郡、足柄下郡、三浦郡、横浜市、久良岐郡(くらきぐん:現在の横浜市南区、港南区あたり)、横須賀市と、かなり広範囲にわたっていた。二宮支所では各地域で収穫した繭の検査、饗蛆(蚕の害虫)駆除、母蛾(良質蚕の親)の受け付けといった業務を養蚕技師・技手男女十数名の職員が遂行したのだった。

 当初の庁舎建物は大正12年(1923年)9月の関東大震災で倒壊したが、その後瀟洒な洋式校舎風木造舎屋に改築され、近くにある園芸試験場建屋とその威容を競った。

 昭和に入り、行政改革で管轄は中郡、平塚市、足柄上郡、足柄下郡と狭まったものの、四半世紀にわたり日本の花形産品生糸の隆盛と歩みを共にした蚕業取締所二宮支所。

 しかしながら昭和13年(1938年)のアメリカ人カロザースによるナイロンの発明、太平洋戦争勃発で蚕業は一気に衰退するに及び、遂に昭和19年(1944年)3月、二宮支所は廃止となったのである。なお庁舎建物はその後の火災で焼失してしまった。

参考文献

  • 『二宮町郷土誌』 昭和47年3月 二宮町教育委員会編
  • 『二宮町近代史話』 昭和60年11月 二宮町教育委員会 編
  • 『神奈川県史 通史』 平成6年3月 二宮町 編
  • 『画・文で描く祖父母が若かった頃』 平成19年 鷹野良宏著
  • 『蚕業業史 蚕糸王国日本と神奈川県の顛末』 平成18年 小泉勝夫編
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