ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

あしあと

    昔のうつわ

    • [更新日:2022年10月31日]
    • ID:153

    ハレの日のうつわと酒器

    私達は日々生活する中で、気分を新たにしたり生活に潤いをもたせるため、「ケ」(日常)とは違うものを着たり、食べたりすることがあります。つまり普段とは異なるものを使うことで、その時間・空間が「ハレ」(非日常)であることを自分も回りの人々も意識してきたのです。その代表が晴着(はれぎ)でしょう。食事で使ううつわにも特別なものがありました。「ハレ」を示すものは時代や地域によって違いがありますが、生活が多様化した現在は「ハレとケ」の区別が薄くなりつつあるようです。

    酒は現在では日常的に飲まれていますが、かつての農村ではハレの日だけの飲み物でした。春の田植え終了後の骨休めの日や秋の収穫を祝う祭り、それに盆と正月、結婚式や元服祝いなど人生儀礼の時に飲まれていたのです。しかし江戸時代の城下町などでは日常的に酒を提供する店もでき、さまざまな酒器が普及していきました。

    ジュウバコ(重箱)

    ジュウバコ1

    重箱は、年中行事や宴席で使う弁当箱で、この写真のような漆塗りが一般的です。蓋にはおめでたい図柄の鶴と松が描かれています。

    1辺 20センチメートル、高さ 13センチメートル

    仕事や学校に行く時持って行くような、日常生活の中で使われる弁当箱に対し、年中行事や花見、野外の宴などハレの日に使われる弁当入れが重箱です。重箱はまた宴会の席でのご馳走や酒の肴を盛ったり、赤飯やまんじゅうなどを贈り物にするときの器としても用いられました。

    『二宮町民俗調査報告書』には、「子どもの頃は花見が一番の楽しみで、重箱に寿司、ようかん、天よせ、煮しめを入れ持って行った」「4月の月遅れの節句には女の子が座り雛をひとつと重詰を持って友達と山へ行きご馳走を食べた」というように、重箱にまつわる楽しげな思い出が綴られています。

    参考資料

    • 二宮町文化財調査報告書25号『二宮町民俗調査報告書』 二宮町教育委員会 発刊 1997年
    • 『ちょっと昔の道具たち』 岩井宏實 著 河出書房新社 発行 2001年
    ハレの日を彩る重箱

    ハレの日を彩る重箱
    蒔絵が美しい重箱。四段になっています。

    日常生活で使われていた弁当箱

    日常生活で使われていた弁当箱
    現在はプラスチック製でふたにはパッキンのゴムがついていてぴったりとふたが閉まるものが主流ですが、昭和20~40年頃は写真のようなアルマイトの弁当箱(アルミ製で腐食しにくくしたもの)が一般的でした。梅干が直接弁当箱につくと酸で穴があくと言われました。右側のお弁当箱は横に留め具がついていて、汁漏れを防ぐようになっています。

    ダイカイ(大海)

    ダイカイ

    神奈川県内には、祝儀・不祝儀の際にダイカイと呼ばれる容器に赤飯を入れて贈答する習慣があります。写真のような椀の形のほか、おひつ型も見られます。ふたには金字で持ち主の家紋が入っています。

    直径 33センチメートル、高さ 23センチメートル

    ダイカイはデーケー(デーケ)とも呼ばれ、祝儀・不祝儀ともに使われていたことが『二宮町民俗調査報告書』でわかります。ここではどのような時に使われていたのかを抜粋してみました。

    • 帯祝いのとき、実家からデーケーを持ってきたので、その赤飯を組内に配った(一色地区)
    • 産で実家へ行くときダイカイに赤飯を入れて持って行く(一色地区)
    • 宮参りの日、ダイカイに赤飯を入れ隣組に配る(中里地区)
    • ダイカイは建前などに使うが、片方で5升入りだ(二宮地区)
    • 葬式の赤飯はデーケに親子は一荷(5升)、仲人は半荷(2.5升)を天秤に担いで届ける(一色地区)
    • 親の死には赤飯をダイカイ一荷、兄弟の死には半荷持っていく。一荷は5升で、天秤棒の両脇につけるので一荷。半荷は片方だけになる。現在も行われているが、金で持って行く場合が多い(一色地区)
    • 昭和15年(1940年)の父の死のとき、姉から赤飯半荷、母の兄弟から一荷がデーケーで届けられた(二宮地区)
    • ダイカイは明治36年(1903年)年生まれの家にはいくつもあったので、近所から借りに来た。ダイカイは自作農か地主の家にある(川匂地区)

    平成元年には一色地区の一部ではまだダイカイが用いられていたようですが、他の地区ではダイカイを贈る代わりに蒸し物料、または茶料として現金を包むようになっていたとのことです。

    帯祝い:妊娠中、戌の日に腹帯をまく祝い
    一荷:一荷はダイカイ2個のこと
    現在:調査時は平成元年(1989年)

    参考資料

    • 二宮町文化財調査報告書25号『二宮町民俗調査報告書』
    • 二宮町教育委員会 発刊 1997年
    ダイカイ2

    ダイカイを上から見たところ

    ダイカイ3

    ダイカイの蓋を開けたところ
    中は朱塗りになっています

    シュウギワン(祝儀椀)

    シュウギワン

    「わん」の材質としてよく用いられるものが木製(椀)と陶磁製(碗)です。これは木地の上に漆を塗り、金箔の蒔絵を施したもので、祝い事の席で使われました。

    直径 9.5センチメートル、高さ 8.5センチメートル

    漆塗りの器は縄文時代からみられます。その後美しい蒔絵の食器が登場し、貴族や武家の上流階級で使われていましたが、庶民にまで広まっていくのは近世になってからです。江戸時代には漆器産地が各地にでき、冠婚葬祭用の食器として、飯椀・汁椀・平椀・壺椀が膳と組み合わされて生産されるようになり、普及していきました。

    参考資料

    • 『ちょっと昔の道具たち』 岩井宏實 著 河出書房新社 刊 2001年
    • 『台所道具いまむかし』 小泉和子 著 平凡社 刊 1994年
    シュウギワン2
    シュウギワン3

    蓋にもおめでたい席で用いるのにふさわしく、松の蒔絵が施されています

    シュウギワン4

    トックリ(徳利)

    トックリ

    これらの徳利は全て酒屋の名前や地名が書かれているため、家庭用に作られたものではなく、販売店用のものであることが分かります。販売店は得意先には徳利ごと貸し出すこともありました。

    左から2番目:高さ 28センチメートル

    中世では宴席に酒の貯蔵器(1斗~2斗程度の樽)を持ち込み、そこから注器に移して飲んでいました。徳利は室町時代後期に出現し、貯蔵器として用いられるようになりました。その後近世に入ると灘のような大きな酒の産地が生まれ、輸送に大きな樽が使われるようになると貯蔵器を宴席に持ち込むことはなくなりました。そこで本来は貯蔵器であった徳利が次第に注器として用いられるようになったのです。江戸時代中期になると酒を燗して飲む習慣ができ、1~2合入りの小型の燗徳利が生まれます。また酒を酒屋から買って飲むのが一般的になり、酒屋の貸し徳利(通い徳利)としても使われるようになりました。

    参考資料

    • 『ちょっと昔の道具たち』 岩井宏實 著 河出書房新社 発行
    • 『台所道具いまむかし』 小泉和子 著 平凡社 発行

    貸し徳利のいろいろ

    店の名前や電話番号が書かれています。

    徳利1
    徳利2
    徳利3
    徳利4
    徳利5
    徳利6

    ヒサゲ(堤子)

    ヒサゲ

    お酒を入れて、注いでまわるための酒器です。宴席などで一時的に利用するので、ふたがないものが一般的ですが、この写真のものはもともと、ふたがあったようです。鉄製で、このまま火にかけることにより燗もできます。

    直径 14.5センチメートル

    酒を燗して飲む習慣は近世になってからのことです。酒を注ぐための道具であるヒサゲや銚子は、はじめ木製でしたが燗酒の風習の広まりとともに鉄製のものも使われるようになり、それで直接火にかけて燗をするようにもなりました。この写真の提子も鉄製で、回りには梅の花の模様があります。

    参考資料

    • 『ちょっと昔の道具たち』 岩井宏實 著 河出書房新社 刊 2001年
    ヒサゲ2

    ヒサゲを上から見たところ

    ヒサゲ3

    回りには全体的に梅模様があります

    イワイサカヅキ(祝い杯)

    それぞれおめでたい図柄が描かれています

    イワイサカヅキ1
    イワイサカヅキ2
    イワイサカヅキ3

    お問い合わせ

    二宮町教育委員会教育部生涯学習課生涯学習班

    住所: 〒259-0123
    神奈川県中郡二宮町二宮1240-10

    電話: 0463-72-6912

    ファクス: 0463-72-6914

    お問い合わせフォーム