東京大学農学部付属農場
- [更新日:2022年10月31日]
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東京大学農学部付属農場西湘随一のアカデミック施設
二宮駅北口から東北に約1.5キロ、町のほぼ中央部に位置する中里地区に「東京大学二宮果樹園」があった。
残念ながら、平成20年(2008年)3月末をもって、町民に惜しまれつつ閉園となったが、大正末期から八十有余年にわたり、“二宮の東大"といわれ、町自慢のアカデミックな学術施設だった。
敷地面積4ヘクタール。北側に台地を背負い、東西に張り出した尾根に抱かれた、日光と水の便に恵まれた環境は果樹の栽培には格好の条件を備えていた。
この地はもと第十五銀行頭取だった園田孝吉男爵が広い果樹園を持つ別荘とし、晩年を過ごしていたところであった。しかし大正12年(1923年)9月の関東大震災で園田氏が亡くなったことで、国が買収し、東京帝国大学の農業研究の拠点としたものである。当時、神奈川県園芸試験場(既に近接の元町北地区に開設していた)の場長だった富樫常治氏の強い推薦があったといわれる。
開場は大正15年(1926年)3月。東京府下田無にあった東京大学付属農場から果樹園を分離し、「二宮果樹園」と称した。
そもそも日本におけるミカンの経済栽培の北限といわれた二宮の風土に根差した果樹専門農場を意図したものであり、ミカンのほか、ブドウ、ナシ、モモ、カキ、リンゴ等20種類にも及ぶ果樹がさまざまな形状で仕立てられ、学術実験用に栽培されることになったのである。
昭和22年(1947年)、「東京大学農学部付属農場」と改称。更に平成12年(2000年)4月には「東京大学大学院農学生命科学研究科付属農場(通称、耕地生産教育研究センター・二宮果樹園)と名前は何度か変更になった。時代の流れと共にということもあるが、農業科学研究開発では我が国の最先端機関の一翼を担う施設として、年を追い進化発展を遂げたことを反映しての結果ともいえよう。
萌芽、開花、収穫、落葉といった季節ごとのフィールド科学研究を行う対象農場として、地味ながら、我が国園芸農業進展の先達的役割を果たしてきたことは忘れてはならないだろう。
特筆すべきは、生物生産に立脚した研究に重点が置かれたことで、「持続的植物生産学」「耕地システム環境耐性学」に基づいて果樹作物の生産エネルギー確保をプロジェクトとして真摯にこれを追い続けてきていることである。
また、丹沢山系に近い環境ゆえに、野鳥や害虫類襲来防護用ネットの改良実験を行うといった意外な一面もあった。
もちろん、園芸農家に対する技術指導や近隣地域の小学生が園芸農業に親しむ勉強会の開催、見事に実った果実の収穫・頒布を兼ねた園内見学会など地元町民との緊密な交流にも意を注いできたのであった。それだけに西東京市(旧田無)の本場への吸収に伴う平成20年の閉園は寂しい限りである。

参考文献
- 『二宮町郷土誌』昭和47年3月刊二宮町教育委員会編
- 「広報にのみや226号」昭和56年10月版
- 「東京大学大学院農業生命科学研究科年報・東大農場編」2006年版
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