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あしあと

    国際電信電話株式会社(KDD:現KDDI)二宮海底中継所

    • [更新日:2022年10月31日]
    • ID:131

    国際電信電話株式会社(KDD:現KDDI)二宮海底線中継所わが国最初の海底ケーブル陸揚局

    二宮駅からまっすぐに海岸に向かい、NTT二宮営業所の裏を右折して海岸通りを山西方面を指して300メートルほど行くと、左側に国際電信電話株式会社二宮海底線中継所がある。

    この施設は昭和37年(1962年)7月に着工し、翌39年6月19日より業務を開始している。昭和40年代中頃までの国際通信は主に短波通信によって行なわれていたが、国際交流の活発化とともに国際間の通信量が増大し、各国に割り当てられた短波の周波数は既に限界に達してしまった。そこで新しい通信幹線の敷設がのぞまれていた。折から米国のベル電話研究所で信頼度の高い海底中継器が開発され、海を隔てた大陸間は海底同軸ケーブルで結ばれるようになったのである。

    この二宮中継所はわが国としては最初の海底ケーブル(第一太平洋横断ケーブル)の陸揚局で、国際通信史上、きわめて意義深い施設である。第一太平洋横断ケーブル(TPC・1)は日本と外国を結ぶわが国最初の海底同軸ケーブルで、電話線に換算して138回線の容量で、良質な通話が同時にできる高い性能をもっていた。それは二宮からグァム、ウェーキ、ミッドウェイの各島を経てハワイに至るまで、全長9800キロメートルの距離を結び、さらにハワイからは既存の海底ケーブルに接続して、アメリカ本土、カナダへ、また、グァムからは香港、フィリピン、オーストラリアへそれぞれ結ばれた。

    二宮が中継所として選ばれたのは二宮海岸の海は波打際から急に深くなっていて、船舶の錨や漁具などによるケーブルの損傷がないこと、地震に強い地層であること、東京の国際通信センターに近く、国内連絡線の設定が容易なことなどが主な理由であった。

    この海底ケーブルの敷設は昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催にあたっても、陰ながら重要な役割を果たし、大会の成功にも多大な貢献をすることにもなった。

    なお、21世紀に入り、海底ケーブルは光波長多重伝送技術の開発に基づく光ファイバー伝送システムにより超高速化、大容量化が実現した。

    その結果、平成13年(2001年)、回線容量、敷設ケット網の増加に対応可能なチャイナ・USケーブルネットワークをメインにした大規模中継センターに主力を移すことになった。

    これに伴い二宮中継所は、その後東南アジア・中東・ヨーロッパとの回線増設はなされたものの、平成23年(2011年)には無人(リモコン設備)中継所となり、影の薄い存在になってしまった。

    二宮海底線中継所

    参考文献

    • 『二宮町郷土誌』昭和47年3月刊二宮町教育委員会編
    • 『二宮町史通史編』平成6年3月二宮町編
    • 「広報にのみや」昭和56年11月号二宮町
    • 「KDDI海底中継センター」リーフレット平成23年刊KDDI株式会社

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