ガラスのうさぎ
- [更新日:2026年8月19日]
- ID:868
「ガラスのうさぎ」の物語について
はじめに
二宮駅の南口にある「ガラスのうさぎ像」。この像がなぜここにあるのか、その悲しい物語を知っていますか?
それは、高木敏子さんの実体験に基づく著書「ガラスのうさぎ」に由来します。
ここでは「ガラスのうさぎ」について、あらすじの紹介をします。
あらすじ
主人公である高木敏子さんは、東京でガラス工場を営む父のもと、温かい家庭で育ちました。タイトルにある「ガラスのうさぎ」は、腕利きの職人であった父が彼女のために作った愛らしい置物です。しかし、戦争がすべてを奪っていきます。
昭和20年3月10日、東京大空襲によりお母さんと二人の妹を失い、空襲の焼け跡から見つかったのは、無惨に溶けて形が歪んでしまった「ガラスのうさぎ」でした。
高木さんは母たちの遺骨を抱え、父と共に二宮町へ疎開します。
そして昭和20年8月5日、ここ「二宮駅」でアメリカ軍戦闘機P-51による機銃掃射を受けてしまいます。この時、お父さんは逃げ遅れてしまいました。激しい銃撃音が止んだとき、高木さんが見たのは、血を流して倒れているお父さんの姿でした。 銃弾は父の体を貫通しており、高木さんは必死にお父さんを呼びますが、言葉を返すことなく、そのまま息を引き取ります。
その後、高木さんは、極限状態のなかで絶望に打ちひしがれながらも必死に生き抜きます。そして溶けた「ガラスのうさぎ」を心の支えにしながら力強く成長していきました。
「ガラスのうさぎ」の由来
太平洋戦争終結直前の昭和20年8月5日、ここJR二宮駅(当時国鉄)周辺にはP51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となりました。
この時、目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」(高木敏子さん著)は国民の心に深い感動を呼び起こし、戦争の悲惨さを強く印象づけました。
この像は、私たち二宮町民が平和の尊さを後世に伝えるために、また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために、多くの方々のご協力をいただき建てたものです。
少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです。
「ガラスのうさぎ」像記念碑文より
二度と戦争があってはならないと、永遠の平和を願う人々の浄財によって昭和56年(1981年)、二宮駅南口に、この像は建てられました。
ガラスのうさぎ像平和と友情のつどい
「ガラスのうさぎ」像は、町の平和と友情のシンボルであり、平和への関心を高め、二度と戦争を繰り返してはならないという願いが込められています。この思いを後世に伝えることを願い、平和と友情のつどいを毎年8月5日に開催しています。
令和8年度開催の様子
令和8年度は、二宮西中学校生徒による碑文の朗読、二宮高等学校生徒による碑文英訳文の朗読のほか「未来へ平和をつなぐ」と題し、西光寺住職であります秋山光洋様に戦争体験談をお話しをいただきました。
また、展示ギャラリーでは、にのみや平和を伝える会、二宮町遺族会による「戦争と平和に関する展示」もあわせて行いました。
二宮西中学校及び二宮高等学校の生徒による碑文・碑文英訳文朗読
碑文朗読
碑文英訳文の朗読
戦争体験談「未来へ平和をつなぐ」
西光寺住職 秋山光洋様よりお話をいただきました
戦争と平和に関する展示
「ガラスのうさぎ像」

町内、町外より約6万羽の千羽鶴が集まり「ガラスのうさぎ像」を飾ることができました。
多方面からのご協力、誠にありがとうございました。
(注釈)令和8年8月24日月曜日まで装飾を行っております。
令和7年度に高木敏子先生より寄せられたメッセージ
高木敏子先生からのメッセージ
リンク
ガラスのうさぎ像を千羽鶴で飾りましょう
平和への願いを込めて、毎年8月1日から8月15日まで「ガラスのうさぎ」像に千羽鶴を飾っています。
(注釈)千羽鶴は、毎年7月頃に持ち込みの受付をしています。
千羽鶴の受付について
地図情報
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お問い合わせ
二宮町総務部総務課庶務人事班
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神奈川県中郡二宮町二宮961
電話: 0463-71-3315
ファクス: 0463-73-0134
