歴史年表
- [更新日:2022年10月31日]
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ページ内目次
- 明治1年から21年(西暦1868年から1888年)
- 明治22年から45年(西暦1889年から1912年)
- 大正時代(西暦1912年から1926年)
- 昭和1年から10年(西暦1926年から1935年)
- 昭和11年から20年(西暦1936年から1945年)
- 昭和21年から30年(西暦1946年から1955年)
- 昭和31年から40年(西暦1956年から1965年)
- 昭和41年から50年(西暦1966年から1975年)
- 昭和51年から60年(西暦1976年から1985年)
- 昭和61年から64年(西暦1986年から1989年)
- 平成1年から10年(西暦1989年から1998年)
- 平成11年から21年(西暦1999年から2009年)
- 参考文献
- 「日本と世界」欄の扱いについて
明治1年から21年(西暦1868年から1888年)
行政
2年(1869年)・助郷勤高、百姓持高、人別などが書き上げられ、各藩主がそれぞれの知事に就任する。
3年(1870年)・一色の記録あり。(人口505人、寺院2、小橋20ヶ所、用水堰10ヶ所、高札場2ヶ所)
4年(1871年)・川匂村へ神仏混交の禁止。・11月の時点で一色、中里、二宮、山西、川匂が足柄県に含まれる。
8年(1875年)・中里村、生活上の取り締まり規定制定(7ヶ条)。・一色村、取締規定制定。
9年(1876年)・4月、足柄県廃止により、現在の二宮町域を含む淘綾郡は神奈川県へ編入。・二月、二宮村山林9町8反余、原野9町9反余、溝5反。
10年(1877年)・一色104戸、中里85戸、二宮204戸、山西251戸、川勾49戸。
11年(1878年)・二宮村村役人及び人口1327人。
12年(1879年)・二宮村人口228戸、1359人。・二宮村で初の村会開催。
13年(1880年)・国会開設署名運動に一色、川匂、中里、二宮、山西からも署名者多数。・村内国民軍人員(17から20歳)234人・吾妻村地券発行開始。
14年(1881年)・二宮村山林外等級地価、計97町9反4畝28歩、地価金550円34銭3厘。・自由党結成会議に現二宮町域から伊達時、水島保太郎など10人参加。
20年(1887年)・一色、川匂、二宮、中里の4村連合村費、役場費117円93銭。
交通
5年(1872年)・宿駅制度廃止される。
6年(1873年)・梅沢の松屋本陣に皇后が休む。
7年(1874年)・人力車営業開始(日本初営業は1870年日本橋)。
12年(1879年)・人力車夫、19人。
教育
6年(1873年)・足柄県令より学制実施の告諭が出され、小学思文館の生沢学校(東昌寺)、西校(山西・宝蔵寺。7月22日、生徒入学)第1支校(知足寺。二宮支校)開校。この年に全体で124人が入学。
7年(1874年)・思文館及び第1支校、知足寺から大応寺へ移転。
8年(1875年)・一色村に小学校設立を願出。
9年(1876年)・村別就学率、二宮38.9%、中里28.4%、一色12.5%。
10年(1877年)・二宮学校・山西学校合併し、二宮村字内原に落成した校舎にて公立小学二宮学校となる。就学生徒140人。
11年(1878年)・一色村に、足柄郡井ノ口村・大住郡五分一村との合併校、誠真館井ノ口支校設立。
産業
1年(1868年)・石高、一色751,4、川勾94.1、中里705.5、山西572.6(単位は石)
2年(1869年)・塩畑所有人口、上町10人、中町25人、下町15人。
6年(1873年)・二見庄兵衛が落花生の新種を発見、普及に寄与する。
7年(1874年)・漁獲量、ヒラメ270尾、カツオ850尾、サバ4560尾、イワシ600貫、アンコウ120尾、コジメ15尾、タイ70尾、ブリ45尾、アジ1750尾、アカウオ5750尾、ウツワ3120尾、イカ6850杯。
9年(1876年)・中里の馬主16人、馬16頭。・二宮の田畑、田29町5反余、畑73町6反余。等級は1から10等。・中里の新米相場、1石4円8銭1厘6毛。
11年(1878年)・二宮村漁業状況、6人乗り6艘、4人乗9艘、21人乗り7艘、麻網15丈以下6張。
12年(1879年)・二宮村特産品、実綿、菜種、食塩。
13年(1880年)・一色・中里の東京への薪売却2万340束。・村内兼業漁民戸数35戸、漁船22艘、地引網10張。・「立落花生」の新種発見。
16年(1883年)・大住・淘綾郡で穀価低落。
18年(1885年)・中里、水車新設取り決め。
21年(1888年)・大住・淘綾郡で神奈川県農会結成。
生活
8年(1875年)・二宮村、9月18日の秋葉神社例大祭の祭典願出。
10年(1877年)・冬、コレラが神奈川県下に流行。
12年(1879年)・一色村に消防体制が整備される。・夏からコレラが神奈川県下に流行、患者続出。
17年(1884年)・5月、一色騒動。・一色村に私設消防組設立。
19年(1886年)・夏、コレラが神奈川県下に流行。
日本と世界
2年(1869年)・藩籍奉還。
4年(1871年)・廃藩置県。
10年(1877年)・西南戦争(2月15日から9月24日)。
11年(1878年)・神奈川県下各郡役所開庁。
13年(1880年)・国会開設運動各地で盛ん。
15年(1882年)・戒厳令法制定。
明治22年から45年(西暦1889年から1912年)
行政
22年(1890年)・中里、二宮、山西、川匂、一色の各村合併し、吾妻村成立。
24年(1891年)・吾妻村、735戸、人口4910人。
27年(1894年)・日清戦争にあたり、8月30日吾妻村から約30人が召集される。
29年(1896年)・大住、淘綾郡が廃止し、中郡設置。
32年(1899年)・中郡会設立。・吾妻村避病院設立場所が確定。
37年(1904年)・一色、中里、二宮、山西に公設消防組設置。
40年(1907年)・中郡県会議員、吾妻村の有権者数は297人(郡全体で5271人)。
交通
26年(1893年)・秦野道改修工事開始。
30年(1897年)・東海道鉄道線路設置に付き、山西共有墓地が分裂する。
32年(1899年)・二宮駅開設運動が起こる。
34年(1901年)・秦野道改修完了・二宮駅工事始まる。
35年(1902年)・4月、東海道線、二宮駅開業。
37年(1904年)・湘南馬車鉄道株式会社設立。
38年(1905年)・湘南馬車鉄道、鉄道敷設開始。
39年(1906年)・湘南馬車鉄道、営業開始。
44年(1911年)・湘南馬車鉄道、馭者同盟の騒動にて賃金値上げ。・8月、暴風雨のため二宮-中里間で馬車鉄道が流される。
45年(1912年)・7月、湘南馬車鉄道が動力を蒸気機関に変更、湘南軽便鉄道株式会社と改称。
教育
23年(1890年)・小学二宮本校一色分校設立。一色村は井ノ口小学校から本校へ。・山西に大磯警察署の駐在所ができる。
28年(1895年)・8月、尋常吾妻小学校開校。
29年(1896年)・三郡共立学校、二郡共立学校(中郡・足柄上)と改称。・尋常吾妻小学校に高等小学校を併設、補習科を廃止し、尋常高等吾妻小学校と改称。
30年(1897年)・9月、吾妻小学校で赤痢流行、学校閉鎖。
31年(1898年)・二郡共立学校、中郡共立学校と改称。
33年(1900年)・中郡共立学校、中郡立中郡学校と改称。
34年(1901年)・吾妻小学校に農業科が加わる。
35年(1902年)・中郡立中郡学校、中郡立農業学校と改称。
41年(1908年)・一色、中里、二宮、山西にて小学校卒業者に対し夜学校開設(のちの補修学校)。
42年(1909年)・中郡農業学校が県に移管。
43年(1910年)・初代校長を伊達時に、中郡私立盲人学校設立。
産業
30年(1897年)・漁業鑑札、小地引網・船地引網・七目網の3種許可。
31年(1898年)・秦野葉煙草専売所が開設。
37年(1904年)・二宮での葉煙草栽培がピーク、38町。
38年(1905年)・12月、押切の大火。
40年(1907年)・5月、株式会社二宮魚大販売設立(6月に二宮魚市場と改称)。・山西水産株式会社設立。
41年(1908年)・12月、吾妻村山西湘南牛乳株式会社、牛舎落成。
43年(1910年)・大磯銀行支店が二宮に開業。・二宮好景気。
生活
22年(1889年)・明治23年1月の吾妻神社祭礼に付き、祭典興行人鑑札を許可される。
24年(1891年)・山西の年間搾乳量30石。
25年(1892年)・国府祭、祭礼日変更。・天然痘、神奈川県下に流行。・中里、二宮、梅沢、山西に私設消防組設立。
26年(1893年)・春赤痢が神奈川県下に流行。
28年(1895年)・コレラ、神奈川県下に流行。
31年(1898年)・暴風雨により大磯から国府津の間の道路が不通、押切橋壊落、中郡死者3名。・中郡青年会第1回総会を開催。
32年(1899年)・夏、赤痢、神奈川県下に流行。
33年(1900年)・吾妻銀行開業、この年に県下銀行多数開業。
34年(1901年)・二宮郵便局業務開始。・9月に赤痢、神奈川県下に流行。
35年(1902年)・10月1日国府津村、小田原村大海嘯。
36年(1903年)・一色で火災発生、8棟全焼。
38年(1905年)・赤痢発生。
40年(1907年)・中郡倉庫株式会社及び興業委託倉庫株式会社設立。
43年(1910年)・8月、台風により記録的大雨、県内河川のほとんどが決壊し、大洪水が起こる。・神奈川県下に伝染病多発。(赤痢患者214名、赤痢死者37名、腸チフス患者554名、1月から9月1日の腸チフス死者109名)・吾妻村青年会設立。・二宮郵便局、電話業務開始。
日本と世界
22年(1889年)・2月11日、大日本帝国憲法発布。
27年(1894年)・8月1日、日清戦争開戦。
28年(1895年)・日清講和条約調印(4月17日)。
29年(1896年)・葉煙草専売法公布。
30年(1897年)・伝染病予防法制定。
32年(1899年)・府県及び郡制施行。
33年(1900年)・治安警察法交付。・小学校令交付。
34年(1901年)・愛国婦人会結成。
37年(1904年)・日露戦争開戦。
39年(1906年)・9月、日露講和(ポーツマス)条約調印。
42年(1909年)・種痘法公布。
43年(1910年)・漁業組合令交付。
大正時代(西暦1912年から1926年)
行政
3年(1914年)・吾妻村基本財産蓄積条例が制定。
5年(1916年)・町制施行運動活発化。
6年(1917年)・徴兵あり。・吾妻村村勢要覧発行(1050戸、7347人、男3725、女3649人)。
8年(1919年)・3月末の吾妻村戸数1188、人口7095。
9年(1920年)・3月頃、吾妻村有権者354人。・10月頃、吾妻村人口7055人。
10年(1921年)・吾妻村大正10年度予算を3万8057円14銭に決定。
11年(1922年)・吾妻村の町制及び町名、村長は吾妻町、議員は二宮町を提案、議決せず。
12年(1923年)・吾妻村、震災による財政逼迫で一時借入金あり。
13年(1924年)・吾妻村の震災被害153万5千余円、国や県から応急費・復旧費。・大正13年度予算額4万5119円。・吾妻村町制(賛成二宮のみ)、一色、中里、山西、川匂は反対。・9月の吾妻村有権者646。
14年(1925年)・県町村長会、地方制度・郡役所廃止及び決議を可決。
交通
2年(1913年)・秦野-二宮間の鉄道が馬車から蒸気機関になる。
7年(1918年)・湘南軽便鉄道株式会社解散、湘南軌道株式会社設立。
8年(1919年)・湘南軌道、運転開始。
9年(1920年)・秦野-二宮線、県道に認定。
13年(1924年)・二宮駅震災復旧工事落成式と祝賀会施行。
教育
3年(1914年)・一色小学校と吾妻小学校合併し、旧一色小は幼年児用となる。
4年(1915年)・吾妻小学校に青年実業補修学校設立。・吾妻村青年団の紋章決定。
7年(1918年)・吾妻村小学校授業料徴収規程制定(全4条、一ヶ月30銭/1人)。
8年(1919年)・2月初め、吾妻村悪性流感で小学校4学級閉鎖。
11年(1922年)・吾妻小学校増築。
12年(1923年)・吾妻小学校が吾妻尋常高等小学校と改称。
産業
2年(1913年)・相州蜜柑同業組合創立。・商業知識の習得を目的とした夜学ができる(責善会)。
3年(1914年)・ブリ漁さかん。大漁が続く。
4年(1915年)・ブリ漁好成績。・吾妻村青年団が設立。・「白湯」温泉開業。
5年(1916年)・株式会社山西魚市場設立。・夏、二宮の各別荘に200余名の避暑客。
6年(1917年)・1月から6月の魚市場の収益高報告(山西2万9679円、二宮2万2821円)・二宮青物市場開設が認可。
8年(1919年)・二宮地方落花生好況。
9年(1920年)・吾妻村村農会主催により堆肥品評会開催。
10年(1921年)・中郡水産会設立。
11年(1922年)・二宮漁業組合設立。・吾妻村煙草収納所落成。・平和記念東京博覧会に落花生出品。
13年(1924年)・秦野煙草耕作組合連合会結成。・山西漁業組合設立。
14年(1925年)・吾妻村別荘数44軒。・中郡耕地整理組合結成。・中郡特産物が胡瓜。
15年(1926年)・ブリが豊漁。
生活
2年(1913年)・吾妻村の別荘が34戸まで増える。
3年(1914年)・川勾神社や吾妻小学校で戦勝を祝う記念式などが執行される。
4年(1915年)・「永楽座」・「二宮倶楽部」にて政見発表や新派劇興行。・大嘗祭(11月15日)に際し吾妻村民が小学校から川勾神社へ参拝する。
5年(1916年)・吾妻村に炭素病発生。・年末に二宮、山西など21口で特設電話開通。
6年(1917年)・吾妻村山西海岸に肺病院設立の動きあり、反対運動。
8年(1919年)・吾妻小学校にて平和克復祝賀会、旗行列・提灯行列あり。
9年(1920年)・吾妻村で腸チフス、パラチフス各1名発生。
10年(1921年)・軍人婦人会発会。・吾妻村青年会主催により80歳以上招待の敬老会主催。・吾妻村チフス流行。
13年(1924年)・チフスで避病舎流行。・夏、千本松海水浴場及び袖ヶ浦海水浴場が開設。・9月、暴風雨のため押切橋流失、田畑に被害多し。
15年(1926年)・中郡の女子青年会結成される。
日本と世界
4年(1915年)・新戸籍法交付。
6年(1917年)・神奈川県、青年団の規約標準を制定。
7年(1918年)・市町村義務の教育費が国庫負担になる。
8年(1919年)・中郡に悪性流感流行。
9年(1920年)・戦後恐慌始まる。・夏ごろ中郡でチフス流行。・10月、第1回国勢調査。・中郡に神奈川県下初の畜産組合設立認可。
10年(1921年)・自治体としての郡を廃止し、郡を単なる地理的区分とする郡制廃止法公布(大正12年4月1日施行)。
11年(1922年)・健康保険法公布。
12年(1923年)・郡制廃止。・9月1日、関東大震災(吾妻村死者25名、重軽傷者26名)、復興への官民の動き全国的にあり。
13年(1924年)・1月15日、相模地震(震度5、死傷者480名)・婦人参政権獲得期成同盟会結成。
14年(1925年)・治安維持法交付。・男子普選による衆議院議員選挙法改正交付。
15年(1926年)・府町制・市制・町村制改正。
昭和1年から10年(西暦1926年から1935年)
行政
2年(1927年)・梅沢青年団設立。
8年(1933年)・8月、第1回関東地方防空大演習。
10年(1935年)・吾妻村、町制に伴い二宮町の名称採用。・町の人口8,248人、世帯数1594。
交通
4年(1929年)・二宮駅北口札所を開設。
7年(1932年)・二宮ホーム焼打事件。
8年(1933年)・湘南軌道株式会社、休業。・乗合自動車営業開始。
9年(1934年)・秦野・二宮線、県道に認定。・10月、吾妻村山西、国道改修開通式。
10年(1935年)・湘南軌道株式会社、全線で休業。・二宮停車場拡幅決定。
産業
6年(1931年)・失業対策で二宮海岸線道路新設工事が起工。
生活
2年(1927年)・2月、二宮駅前大火、13棟全焼。
6年(1931年)・10月、豪雨による洪水で、塔台川護岸崩壊。
7年(1932年)・11月、神奈川県下、台風により被害多発。
8年(1933年)・4月20日、付で川勾神社、県社に昇格。
10年(1935年)・5月雹害により農作物に甚大な被害。・10月豪雨のため家屋6戸、道路、橋梁等が流失。
日本と世界
2年(1927年)・徴兵令を廃止して兵役法を公布。
5年(1930年)・吾妻村国勢調査、世帯数1513、人口7954。
昭和11年から20年(西暦1936年から1945年)
行政
14年(1939年)・議員、区長による出征遺家族の慰問あり。
17年(1942年)・県下に結婚相談員設置。・県内の銅像が金属回収運動により回収される。
18年(1943年)・吾妻山山頂の監視硝、軍の管理下におかれる。
19年(1944年)・県下に未婚女子による挺身隊が組織される。
交通
11年(1936年)・二宮から国府津間、国道改修工事開始。
16年(1941年)・湘南軌道株式会社、湘南自動車株式会社と改称。
20年(1945年)・町村道の二宮小竹線、県道へ移管を請願する。
教育
11年(1936年)・町立二宮尋常高等小学校、二宮尊徳像除幕。
13年(1938年)・暴風被害のため、小学校に修繕費が交付される。
16年(1941年)・二宮尋常高等小学校を二宮町民国民学校へ改称。
17年(1942年)・二宮小学校の二宮尊徳像が回収。
産業
13年(1938年)・梅干講習会が開催される。
16年(1941年)・落花生・菓子・県青果物の配給統制規則が制定される。
17年(1942年)・塩の通帳制配給が開始される。
18年(1943年)・干大根配給統制規則が制定される。
19年(1944年)・菓子店などの砂糖配給停止。町内菓子店は「吾妻堂」と「友月堂」を残し廃業。・二宮町農業会設立。・物資が隣組配給になる。
20年(1945年)・二宮町自給製塩事業規定が制定。
生活
12年(1937年)・各地区の消防団体を統一、二宮町消防組合となる。
13年(1938年)・梅雨による台風で死傷110名、水害甚大。
14年(1939年)・二宮町警防団設置。
15年(1940年)・1月、二宮の大火(上町、中町69戸全焼、半焼4戸)。・『梅沢志』刊行。
16年(1941年)・7月、大豪雨(罹災2940人、流失家屋9、床上浸水124戸)。
19年(1944年)・二宮町への縁故疎開あり。
20年(1945年)・2月及び8月終戦前、二宮駅周辺・国民学校、機銃掃射を受ける。(8月のみ5名死亡)
日本と世界
13年(1938年)・国家総動員法成立。
13年(1938年)・二宮町婦人会が国防婦人会に吸収される。
14年(1939年)・9月1日、第2次世界大戦開始。
15年(1940年)・10月、大政翼賛会が成立。
16年(1941年)・太平洋戦争開始。
20年(1945年)・8月15日、終戦。(県下被害、空襲53回、罹災14万4467戸、64万4591人、死者6119人、重軽傷者1万7129人)
昭和21年から30年(西暦1946年から1955年)
行政
21年(1946年)・県下の生活向上を目的とした方面委員が廃止になり、民生委員が設置される。
22年(1947年)・4月に初の統一地方選挙。
23年(1948年)・住宅難対策のため、町営住宅の建設と分譲を決定。
24年(1949年)・二宮町火災予防条例制定。
25年(1950年)・二宮町国民健康保険事業開始。・県税付加税と独立税の2本立てにし、町税を7種類の独立財源とする。
26年(1951年)・「二宮町勢要覧」発行。・初の町長決戦投票。・二宮町体育協会及び教育委員会が結成される。・駅前に伊達時の彰徳碑が建立される。
27年(1952年)・県営水道寒川西線区域に編入が決定する。
28年(1953年)・二宮都市計画にともない街路計画、海岸地帯土地区画整理を決定、及び住宅・商業・準工業用地を指定。
29年(1954年)・中井村と二宮町の合併を中止、町長不信任案が可決する。・「二宮町風土記」刊行。・4月、初の立会い選挙。・「二宮町勢要覧」刊行。・「広報にのみや」創刊。
30年(1955年)・町民税15%引き上げ。
交通
23年(1948年)・このころ軽車両台数報告あり(リヤカー509、荷車84、牛馬荷車77)。
28年(1953年)・二宮都市計画街路の決定。
教育
21年(1946年)・1月に修身授業が停止。・旧教科用図書が使用禁止。
22年(1947年)・新制小、中学校発足。・5月、二宮町立二宮中学校開校。
24年(1949年)・私立二宮めぐみ幼稚園設立。
25年(1950年)・二宮愛児園及び私立二宮保育園が設立。・二宮町社会教育委員会設置。
27年(1952年)・私立海の星幼稚園及び梅花保育園が開園する。
産業
22年(1947年)・第1回農地委員会開催。・町営製塩所、二宮中学校建設費用の一部として売却決定。
23年(1948年)・一色・二宮農業協同組合を設立登記。・農林省神奈川食糧事務所二宮出張所ができる。
24年(1949年)・二宮町漁業協同組合設立。
26年(1951年)・二宮町勤労者会が結成される。・農業委員会が設置される。・二宮町観光協会が設置される。
27年(1952年)・一色、二宮合併し、二宮町新興農業協同組合が設立する。
29年(1954年)・湘南西地区県営水道期成同盟会が結成される。
30年(1955年)・水道配管工事が開始、7月に家庭への配給が開始する。・二宮町上水道組合結成。
生活
21年(1946年)・9月、第1回町民体育大会開催。
22年(1947年)・隣組を正式に解散。・警防団廃止、消防団が発足。
23年(1948年)・大磯と国府と合同で自治体組合警察を設置。・養護施設心泉学園を設立。
26年(1951年)・二宮町国民健康保険直営診療所が開設する。・自治体警察を廃止、国家地方警察へ編入。
27年(1952年)・袖ヶ浦海岸バンガローが開設。
28年(1953年)・二宮音頭が作られる。
日本と世界
21年(1946年)・日本国憲法発布。
22年(1947年)・この年、教育基本法と学校教育法が交付され、義務教育が9年になる。・5月3日、日本国憲法施行。
23年(1948年)・新制高校、大学が発足。
29年(1953年)・町村合併促進法が公布される。
昭和31年から40年(西暦1956年から1965年)
行政
31年(1956年)・町民税15パーセント引き上げ。
32年(1957年)・二宮町身体障害者福祉協議会が発足。
33年(1958年)・4月20日、二宮町章制定。
34年(1959年)・二宮町議会事務局を設置。・「神奈川県中郡二宮町土地宝典」発刊。
35年(1960年)・一色・中里土地開発特別委員会設置。
36年(1961年)・二宮電報電話局開設。
37年(1962年)・「町勢要覧」1961年版が刊行。
38年(1963年)・二宮町議会委員会条例制定。・二宮町災害対策本部条例、防災会議条例が制定。
40年(1965年)・「二宮町勢要覧」町制30周年記念発刊。
交通
34年(1959年)・4月、神奈川中央交通株式会社、大磯-虫窪-二宮間のバス運転開始。
37年(1962年)・東海道新幹線軌道工事が着工する。
39年(1964年)・第1回二宮町総ぐるみ交通安全町民大会を開催。
教育
34年(1959年)・二宮小学校給食開始。
36年(1961年)・町立二宮中学校の一部を鉄筋に建て替え。
37年(1962年)・百合が丘造成工事が開始。
39年(1964年)・国立第一病院二宮分院に養護学級を設置。
40年(1965年)・二宮町立一色小学校、分校より昇格して開校。
産業
37年(1962年)・日本観光専門学校、二宮538に開設。
38年(1963年)・中郡ほか周辺市町村の水田にツマグロヨコバイが大量発生する。
40年(1965年)・中南清掃組合設立。・秦野市伊勢原町清掃組合と、し尿処理委託契約。この後、各地区で処理場の設置を巡り議論あり。
生活
38年(1963年)・一色郵便局が開局する。
39年(1964年)・二宮町未亡人会が発会(会員188名)。
40年(1965年)・3月、葛川と中村川が二級河川に指定。
日本と世界
39年(1964年)・東海道新幹線営業開始。
昭和41年から50年(西暦1966年から1975年)
行政
42年(1967年)・二宮都市計画ごみ焼却場を決定。
44年(1969年)・百合が丘団地が開発完了。
45年(1970年)・「町勢要覧」刊行。
46年(1971年)・救急業務開始。
47年(1972年)・二宮町消防本部、消防署の常設体制が完備する。・「二宮町郷土誌」刊行。・二宮町母子福祉協議会を設置。・県天然記念物に、県園芸試験場の「ナシ・モモ原木群」が指定される。
48年(1973年)・8月、町の木(つばき)、町の花(かんな)、町民歌選定。
50年(1975年)・中里宮ノ窪地区、山西上ノ山地区開発完了。・広報にのみや「おしらせ版」創刊。・「町勢要覧」町制40周年記念発行。
交通
44年(1969年)・小田原・厚木道路が開通する。・西湘バイパスの大磯ロングビーチと二宮インター間が開通。・東名高速道路が開通。
47年(1972年)・1月、西湘バイパス全線開通。
48年(1973年)・東海道線二宮地区複々線工事開始。
50年(1975年)・新県道の秦野・二宮線、園芸試験場前交差点の工事が完成。
教育
41年(1966年)・私立二宮育美幼稚園が開園。・一色小学校の新校舎が完成。
43年(1968年)・二宮町立二宮中学校、体育館が落成。
44年(1969年)・二宮中学校、鉄筋4階建てに建て替え。
47年(1972年)・町立百合が丘保育園および私立二宮みどり幼稚園が開園。・二宮町給食センターが操業開始し、二宮中学校で給食開始。
49年(1974年)・私立梅の木幼稚園が開園。・二宮小学校創立百周年。
50年(1975年)・二宮小学校に体育館完成。・二宮町図書館完成。
産業
41年(1966年)・二宮町地区農業改善計画の大綱が成立。・第1回白ギス投釣大会。・二宮店舗数295。
42年(1967年)・財団法人二宮町開発公社が発足。・6月、県下農村地域で1億7800万円の旱魃被害が出る。
44年(1969年)・平塚、大磯、二宮の5農協が合併し、平塚市中央農協が成立、同年中に二宮町農協が合併。
45年(1970年)・梅沢沖に廃車の魚礁を設置。・「商工にのみや」が創刊。・共同作業所が閉鎖。
47年(1972年)・第1回農林水産まつり開催。
生活
41年(1966年)・百合が丘団地の入居が開始。・二宮町国民保険診療所を個人経営へ。・6月下旬、台風4号で県下被害多数。
44年(1969年)・徳富蘇峰記念館が開館。・第1回二宮町クリーン作戦(海岸清掃)・この年、二宮町袖ヶ浦海水浴場17万9000人を記録。
46年(1971年)・老人憩の家、第1号が下町に開館。
47年(1972年)・町民百合が丘プール開設。・70歳以上の医療費無料化へ。・社会福祉センターが町民反対の中起工される。
48年(1973年)・知足寺の鐘、30年ぶりに供出から戻る。・8月、第1回二宮納涼花火大会開催。・二宮隠里地区ほか、開発完了。
50年(1975年)・中里団地入居開始。・百合が丘に郵便局集配作業所が設置される。
日本と世界
48年(1973年)・円変動相場制に移行。・第4次中東戦争に付きオイルショック。
49年(1974年)・伊豆半島沖地震。
昭和51年から60年(西暦1976年から1985年)
行政
51年(1976年)・二宮町が全国町村優良町として受賞される。・「神奈川県中郡二宮町土地宝典」発刊。・資源再利用施設建設。・「にのみや議会だより」創刊。
52年(1977年)・二宮池田地区、寺ノ脇地区の開発完了。
53年(1978年)・中里西川地区、開発完了。・二宮町民憲章制定。・役場新庁舎が完成。
54年(1979年)・在宅当番医制度が施行される。
55年(1980年)・富士見が丘2丁目一部地区、中里扇畑地区開発完了。・町民健康の日を9月に設置。
56年(1981年)・二宮町防災貯蓄倉庫が完成。・二宮町田代、下川久保土地区画整理完了。・二宮駅南口に「ガラスのうさぎ」像設置。
57年(1982年)・富士見が丘2丁目地区、山西須崎地区開発完了。・第2次二宮町総合計画の基本構想が成立。・老人保健医療の特別会計を実施。
58年(1983年)・吾妻山自然公園化事業開始。・二宮中向浜地区開発完了。
59年(1984年)・葛川の生物学的水質検査。
60年(1985年)・二宮勝負ノ前、開発完了。・町制50周年。
交通
51年(1976年)・町道32号線(釜野・中里線)改良工事完成。
52年(1977年)・川匂陸橋が開通。
53年(1978年)・内原線跨線橋開通。・釜野隧道が開通。
54年(1979年)・松浦地下道が開通。
55年(1980年)・二宮駅南口広場の拡張整備開始。
56年(1981年)・駅南口広場が整備。
57年(1982年)・二宮駅橋上駅舎完成、利用開始。
59年(1984年)・海底に二宮―沖縄のケーブル開通。
60年(1985年)・二宮・大磯隧道が開通する。
教育
51年(1976年)・私立みちる愛児園が開園。・このころ町立第2中学校建設の陳情、請願書などが提出される。
52年(1977年)・町立山西小学校開校。
53年(1978年)・山西小学校に体育館ができる。・県立二宮高等学校が五領が台高等学校に間借りして開校。
55年(1980年)・二宮町立二宮西中学校開校。・県立二宮高等学校開校。
産業
53年(1978年)・魚引き寄せ計画により、二宮海底に「鋼鉄アパート」を設置。
58年(1983年)・山西海岸沖に人工魚礁が設置。
生活
51年(1976年)・中里にて衛生センター操業開始。・環境衛生センター桜美園が操業開始。
52年(1977年)・広域避難所を8箇所指定。
53年(1978年)・青年会解散。
54年(1979年)・第1回二宮町健康マラソン大会開催。
55年(1980年)・武道館完成。
56年(1981年)・町の消防団が「金まとい」を受賞する。・中里に「西友ストアー」二宮店が開店。・図書館増築が完了。
57年(1982年)・町営山西プールが開設。
58年(1983年)・社会福祉協議会が法人化。
59年(1984年)・夏、集中豪雨にて峰岸山崩れ。
60年(1985年)・町民体育館が完成。・ごみ収集の民間委託が開始する。・10月、震度5の地震発生。17人重軽傷。・11月、二宮ふるさと祭を開催。
日本と世界
54年(1979年)・東海地震防災対策強化地域に、二宮ほか6県170市町村が指定される。
昭和61年から64年(西暦1986年から1989年)
行政
62年(1987年)・吾妻山工事完了。
交通
63年(1988年)・富士見が丘にバス運行開始。
生活
61年(1986年)・保健センターが完成する。・吾妻山アスレチックコースが開園する。
日本と世界
62年(1987年)・国鉄廃止、JRが発足する。
平成1年から10年(西暦1989年から1998年)
行政
1年(1989年)・役場庁舎、毎月第2と第4土曜日が閉庁となる。
2年(1990年)・町人口29,412人、9,079世帯。・町長・町議会選挙。
3年(1991年)・人口3万人突破。・町民総ぐるみボランティア推進本部設置。
4年(1992年)・吾妻山公園が「神奈川の公園50選」に選ばれる。
5年(1993年)・「リフレッシュ湘南にのみや」新総合計画を策定。・役場が完全週休二日制。
6年(1994年)・町長、町議会議員選挙。
7年(1995年)・町人口30,574人、10,103世帯。・最終処分場が完成。
8年(1996年)・ラジオ広報版「湘南にのみや」月2回(第1、3木曜)放送開始。・「二宮町都市計画マスタープラン」策定。・第10回全国ミニ団体連絡会議を二宮で開催。
9年(1997年)・公共下水道工事開始。・インターネットで情報配信開始。
10年(1998年)・消防庁舎増設工事完了。・じん芥焼却場公害防止施設が完成。・町長・町議会選挙。・二宮環境基本条例が制定される。
交通
1年(1989年)・二宮駅北口駐輪場完成。・県道秦野二宮線バイパスが開通する。
7年(1995年)・二宮駅南口駐輪場完成。
8年(1996年)・釜野地区に路線バス運行開始。
9年(1997年)・緑が丘地区に路線バス運行開始。
10年(1998年)・二宮駅から始発列車が初運行。
教育
4年(1992年)・週休二日制導入。
9年(1997年)・二宮中学校創立50周年記念式典。
産業
7年(1995年)・県の園芸試験場移転。
生活
2年(1990年)・町民運動場が開場する。・サーフ'90が二宮で開催される。
3年(1991年)・第1回吾妻山健康ウォークが開催。・二宮せせらぎ公園が開園する。
4年(1992年)・はしご付き消防ポンプ車が配備。
5年(1993年)・吾妻山に県下最長のローラー滑り台が完成する。・第50回二宮町体育祭を実施。
6年(1994年)・町民温水プールが完成する。
7年(1995年)・福祉ワークセンターが完成。
8年(1996年)・移動図書館車の巡回開始。
10年(1998年)・女性防災隊「メープルリーブズ」が発足。・かながわ・ゆめ国体ゲートボール競技。
日本と世界
1年(1989年)・消費税3パーセント徴収開始。
8年(1996年)・O‐157食中毒が流行。
9年(1997年)・消費税が5パーセント徴収となる。
平成11年から21年(西暦1999年から2009年)
行政
11年(1999年)・公共下水道が川匂、山西の一部で使用開始。・介護保険サービス用介護認定申請受付を開始。12年(2000年)・人口30,802人、10,922世帯。・百合が丘町民サービスプラザ・子育てサロンが開設。・生涯学習センターラディアンが開館。・安全都市宣言。
13年(2001年)・県内初のIT講習会を開催。
14年(2002年)・地区長制が開始。・住民基本台帳ネットワークシステムが一部開始。・葛川流域3町(中井、二宮、大磯)で「葛川サミット」を発足。・町長、町議会議員選挙。
15年(2003年)・高齢者保険福祉計画、介護保険事業計画を改定。・「広報にのみや」が通算500号。
17年(2005年)・この年、町制70周年。・緑の基本計画を制定。・戸籍情報システムを開始。・人口30,263人、11,054世帯。
18年(2006年)・協働まちづくり補助金制度スタート。・町長、町議会議員選挙。
19年(2007年)・交通バリアフリー基本構想を策定。
交通
15年(2003年)・コミュニティバスの試運転開始。
21年(2009年)・コミュニティーバス本格始動開始。
教育
11年(1999年)・こども議会を開催。
14年(2002年)・釜野児童館が完成。
20年(2008年)・東京大学二宮果樹園が閉園。
産業
15年(2003年)・観光納涼花火大会が復活。
21年(2009年)・二宮ブランド推進協議会発足。
生活
11年(1999年)・緑が丘防災コミュニティーセンターが完成する。・第1回湘南ビーチマラソン開催。参加者2万人。・第1回ふるさとまつり開催。
12年(2000年)・第1回よさこいパレードを開催。・富士見が丘防災コミュニティーセンターが完成。
14年(2002年)・元町防災コミュニティーセンターが完成。・二宮果樹公園が開園する。
15年(2003年)・ITふれあい館が開館。・第60回記念町民体育祭を開催。
16年(2004年)・中里防災コミュニティーセンターが開館。・二宮町・中井町交流事業カラオケのど自慢大会が開催される。・二宮町・中井町交流事業パークゴルフ大会が開催される。
17年(2005年)・第1回吾妻山菜の花まつりを開催。・町民活動サポートセンターを開設。
18年(2006年)・にのみや町民大学専門講座開講。
19年(2007年)・図書館専用ホームページを開設。・湘南にのみやバーチャル郷土館を開設。・にのみや町民大学サポーター登録開始。・桜美園での焼却停止。・台風9号により西湘バイパス一部破損、砂浜に被害。
21年(2009年)・一色防災コミュニティーセンターが完成。
日本と世界
14年(2002年)・ユーロ流通開始。
参考文献
- 『二宮町近代史話』二宮町教育委員会(昭和60年11月)
- 『二宮町史略年表』二宮町(平成6年3月)
- 『二宮町町制施行70周年記念町勢要覧湘南にのみや息吹』二宮町(平成18年3月)
- 『二宮町郷土史』
「日本と世界」欄の扱いについて
- 平成19年度第3回文化財保護委員会の決定により、原則として二宮町と関係のあるものに限る。
- 『二宮町郷土史』244ページ以降に戦没者記録のある戦役は記載した。
- 『二宮町郷土史』247ページ以降に記載のある災害は、二宮にも被害を齎したとみなし記載した。
- 二宮町でも発生した事件、疫病そのほか二宮に関連する法令は記載した。
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住所: 〒259-0123
神奈川県中郡二宮町二宮1240-10
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ファクス: 0463-72-6914