大日ヶ窪横穴墓群
- [更新日:2022年11月7日]
- ID:155

緑が丘古墳公園

古墳公園標柱と説明板
大日ヶ窪横穴墓群は南に向いて開く谷津の両側斜面に33基の横穴墓があり、大規模な埋葬施設群となっています(他に竪穴住居址一基を確認できます)。ただ残念なことに風化が進み、すべてが開口墓であるために副葬品の出土は極めて少なく、中に人が入ったような跡もありました。そのため、横穴墓として完全な形をしているものはほとんど見られない状況でした。主な出土品としては、須恵器(すえき)・土師器(はじき)・直刀・鉄釘・煙管・古銭・人骨などがあります。また、出土したわずかな遺物から判断すると、大日ヶ窪横穴墓群の造営年代は7世紀後半から8世紀で、使用年代は古墳時代から奈良・平安時代(一部、江戸時代)と推測できます。

大日ヶ窪横穴墓群全景

2号横穴墓の石棺内部
(多数の礫が敷かれている)

墓前域を共有する2号横穴墓と3号横穴墓

30号横穴墓と33号横穴墓
横穴墓の内部施設としては、棺座・礫敷・排水溝が一般的ですが、風化による横穴の崩壊が進んでいることから、奥壁に近い部分しか残っていないものもありました。そのため、横穴墓の詳細な構造を把握しきれないものもありました。

横穴墓の構造


大日ヶ窪横穴墓群
横穴墓番号 | 横穴墓の状態と規模 | 内部施設と副葬品 |
---|---|---|
1号 | 良好 遺存部の全長7.36メートル×全幅2.53メートル | 内部施設なし。副葬品なし。 |
2号 | 良好 遺存部の全長7.39メートル×全幅2.26メートル | 棺座内に人骨あり。石棺内には5~10センチほどの礫が敷かれる。排水孔あり。 |
3号 | 良好 遺存部の全長1.88メートル×全幅1.42メートル | 高さ40センチ、奥行き47センチの棺座あり。副葬品なし。 |
4号 | 良好 遺存部の全長7.94メートル×全幅3.09メートル | 土師器の破片2点と人骨片が出土。排水溝、玄室部分に大小2個ずつの礫が残る。 |
5号 | 崩壊がいちじるしい 遺存部の全長6.25メートル×全幅2.55メートル | 排水溝らしきものあり。小形壺形土器(土師器)の下胴部破片が出土。 |
6号 | 良好 遺存部の全長8.10メートル×全幅3.00メートル | 河原石が奥壁と閉口に配置される。排水溝あり。須恵器の蓋付坏形土器が出土。 |
7号 | 崩壊がいちじるしい 遺存部の全長3.64メートル×全幅2.68メートル | 鉄釘12本が残る。玄室内に拳大の礫が並べられる。排水溝状の掘り込みあり。 |
8号 | 崩壊がいちじるしい 遺存部の全長3.22メートル×全幅2.54メートル | 玄室左奥隅に数個の礫が残る。副葬品なし。 |
9号 | 良好 遺存部の全長5.88メートル×全幅2.48メートル | 排水溝あり。横穴墓全面に礫群が見られる。副葬品なし。 |
10号 | 極めて悪い 遺存部の全長5.88メートル×全幅2.01メートル | 排水溝あり。副葬品なし。 |
11号 | 極めて悪い 遺存部の全長2.68メートル×全幅2.68メートル | 玄室奥壁の上部が掘り込まれ、棺座状をしている。副葬品なし。 |
12号 | 一部が遺存 遺存部の全長2.62メートル×全幅2.54メートル | 内部施設なし。副葬品なし。 |
13号 | 極めて悪い 遺存部の全長5.78メートル×全幅2.06メートル | 玄室内より土師器壅形土器の底部破片1点出土。内部施設なし。 |
14号 | 極めて悪い 遺存部の全長3.40メートル×全幅2.27メートル | 土師器坏形土器1点と人骨片が出土。内部施設なし。 |
15号 | 極めて悪い 遺存部の全長3.40メートル×全幅1.25メートル | 内部施設なし。副葬品なし。 |
16号 | 崩壊がいちじるしい 遺存部の全長3.19メートル×全幅2.73メートル | 玄室中央に径30センチほどの大型の河原石が残る。玄室の奥と河原石の近くから人骨が出土。 |
17号 | 一部が遺存 遺存部の全長1.06メートル×全幅1.07メートル | 規模が最も小さい横穴墓。副葬品なし。 |
18号 | 良好 遺存部の全長4.78メートル×全幅3.03メートル | 一部の土に拳大の礫が残る。わずかに須恵器破片が見られる。 |
19号 | 良好 遺存部の全長3.65メートル×全幅2.58メートル | 径10~15センチほどの礫敷あり。副葬品なし。 |
20号 | 一部が遺存 遺存部の全長4.15メートル×全幅2.89メートル | 排水溝状の掘り込みあり。副葬品なし。 |
21号 | 一部が遺存 遺存部の全長4.85メートル×全幅2.36メートル | 棺座・排水孔あり。棺座内に歯や人骨が残る。副葬品なし。 |
22号 | 良好 遺存部の全長5.55メートル×全幅2.42メートル | 棺座あり。副葬品なし。 |
23号 | 極めて悪い 遺存部の全長5.18メートル×全幅3.04メートル | 玄室の中央に河原石と人骨片が残る。副葬品として直刀片一点が残る。 |
24号 | 極めて悪い 遺存部の全長4.94メートル×全幅3.00メートル | 副葬品なし。 |
25号 | 良好 遺存部の全長8.97メートル×全幅3.24メートル | 排水溝あり。副葬品なし。 |
26号 | 一部が遺存 遺存部の全長9.18メートル×全幅2.14メートル | 礫敷あり、石で作られた棺座内に歯や四肢骨片などが見られる。副葬品として前庭部分で須恵器や土師器が出土。 |
27号 | 良好 遺存部の全長9.75メートル×全幅3.93メートル | 排水溝あり。玄室内から須恵器の横瓶形土器、須恵器の坏形土器が出土。後世(17世紀頃)に新たに埋葬された人骨と煙管・銅銭(政和通宝・寛永通宝11枚)が残る。 |
28号 | 一部が遺存 遺存部の全長7.22メートル×全幅3.58メートル | 玄室中央に径25センチばかりの河原石が残る。副葬品なし。 |
29号 | 極めて悪い 遺存部の全長4.35メートル×全幅3.82メートル | 直刀および不明鉄器片、土師器と須恵器破片が出土。礫敷が行われていた可能性あり。 |
30号 | 一部が遺存 遺存部の全長10.31メートル×全幅3.72メートル | 玄室内に礫が残ることから、礫敷が行われていた可能性あり。玄室中央で人骨片が出土。副葬品なし。 |
31号 | 造営途中で放棄 遺存部の全長4.31メートル×全幅2.52メートル | 副葬品なし。 |
32号 | 良好 遺存部の全長4.31メートル×全幅2.02メートル | 玄室中央左側から人骨と須恵器破片が出土。 |
33号 | 良好 遺存部の全長8.98メートル×全幅2.52メートル | 排水溝あり。須恵器破片が出土。 |

資料ナンバー1 石棒

横穴墓群の外に作られていた竪穴住居址から発見された石棒です。風化のため表面の一部が剥離してしまっています。スベスベして細長く、丸い形をしています。石棒は石斧のように道具として使うわけではありません。大黒柱のように家の中心に置かれ、信仰的な意味合いをもつとされています。

資料ナンバー2 直刀片

23号横穴墓から人骨片と一緒に発見されました。副葬品の一部と思われます。酸化による金属の膨張で、刀の原型がほとんどつかめない状態です。鍔(つば)の部分にあたるのか、中央右寄りにでっぱりがあるのがわかります。

資料ナンバー3 鉄釘

7号横穴墓より12本発見されました。写真はその一部です。現在、一般的な釘は打つ面が広く、円形をした西洋釘です。明治時代より以前の日本では円すい形をした和釘を使っていました。和釘は打つ面が四角形で円すい形をしています。写真の釘は酸化による金属の膨張が見られますが、和釘と思われます。

資料ナンバー4 寛永通宝

27号横穴墓から11枚発見されました。その一つの拡大写真です。寛永通宝が初めて公に認められたのは寛永13年(1636年)ですので、早くとも17世紀後半頃に埋葬された人物の副葬品と思われます。江戸時代の埋葬方法は土葬が一般的でしたので、どうしてこの人物だけが横穴に葬られたのかは謎に包まれています。

大日ヶ窪横穴墓群

所在地
一色字大日ヶ窪

遺跡種別
集落址・横穴墓群

時代
古墳~奈良・平安

概要
1986年、土地区画整理事業に伴う発掘調査、東群9基、西群24基からなる横穴墓群を検出。土師器・須恵器・金属製品などが出土。

文献
- 杉山博久他 1988『大日ヶ窪横穴墓群』小田原考古学研究会
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