長峯やぐら
- [更新日:2022年11月7日]
- ID:163
ここで紹介する長峯やぐらは、山西地区の釜野にあり、昭和56(1981)年1月、近隣で農道を拡張工事した際、発見されたものです。発掘調査は鎌倉考古学研究所によって2月と3月の2回にわたって行われました。付近には類似した横穴群が密集して見られるため、現在見つかっている以外にも埋没したままの横穴があるかもしれません。
(この遺跡は『二宮の地名』(二宮町教育委員会発行 平成6年)では小字名をとって「長峰やぐら」と呼ばれていますが、ここでは参考資料(文末に表示)に従い「長峯やぐら」と表記しています。)
「やぐら」というのは鎌倉時代ごろ、山中の岩壁を削るなどして造られた横穴のことです。そのころの鎌倉を中心に流行しており、墳墓の役割を持っていたと考えられています。中世よりも遡る横穴墓は全国的に分布していますが、「やぐら」はほとんどが鎌倉にあり、長峯やぐらの発見まで、二宮では確認されていませんでした。
発掘時は玄室の天井が落盤しており、流入土によって表面が覆われていました。玄室の中は拳大の玉石が敷き詰められ、火葬された骨が散乱した状態で見つかっています。納骨のための穴は見られませんが、全体で蜜柑箱1個分ほどの骨が出土しました。
長峯やぐらは方形の玄室の正面に少し幅の狭い羨道がまっすぐに伸びた「両袖型」をしています。玄室の天井は前述の通り落盤していたため、正確な形はわかりませんが、奥壁の形態からアーチ状だったと推定されています。玄室の一番奥から羨道の入り口までは2.7メートルあります。床面は平坦ですが、向かって左側の壁沿いに溝が掘られています。羨道部入口は段がついており、外は自然の傾斜は続いていますので、これは玄室の排水溝と考えられます。
両袖型:羨道から見て玄室が左右に広くなって続く様式
以下に玄室内で出土した遺物を紹介します。
五輪塔
完全な形では7基、他に1基の水輪部分が出土しました。もとは8基あったようです。五輪塔は全て奥壁に平行になるよう2列に配置されていました。奥が5基、手前に2基であり水輪部分しか発見されなかった1基が配置されていたとすれば、おそらく手前の列だったでしょう。8基とも安山岩でつくられており、水輪にのみ梵字が刻まれています。
かわらけ
出土品の多くは「かわらけ」でした。土の粒子が粗く、ほとんどが土器片になっていましたが、完全な状態のものと、復元できたものは合わせて6点あります。そのうち3点は、発見時に入れ子状に積み重ねられていたようです。6点のかわらけは、大きな器(1)、それよりやや小さな器(2)、やや平たい器(3)の3種類に分類されます。
- 口径大、器高大 1点
- 口径小、器高やや大 4点
- 口径大、器高やや小 1点
こね鉢片
山茶碗 窯系のこね鉢の底部分です。
山茶碗
東海地方で11世紀~15世紀ごろ生産されていた、無釉を基本とする茶碗。
手あぶり片
口縁部付近の外面に径4センチほどの菊の押印があります。花型の器だったと推定されています。
長峯やぐら
所在地
山西字長峰
遺跡種別
やぐら
時代
中世
概要
1981年、農道拡幅工事に伴う発掘調査、礫床を有するやぐら1基検出。五輪塔などが出土。
文献
- 大三輪龍彦他 1981「中郡二ノ宮町長峯所在「やぐら」調査概報」鎌倉考古学研究所『鎌倉考古』7
お問い合わせ
二宮町教育委員会教育部生涯学習課生涯学習班
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神奈川県中郡二宮町二宮1240-10
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