天神谷戸遺跡
- [更新日:2025年9月30日]
- ID:138
このページで紹介する天神谷戸(てんじんやと)遺跡は、現在の生涯学習センターと果樹公園、北は町営第1駐車場とラディアン花の丘公園を含む広い範囲で確認されています。
このうち、町営第1駐車場からラディアン花の丘公園の付近で、平成9年(1997年)3月から翌10年(1998年)4月にかけて発掘調査が行われました。
調査地からは、古墳時代から近世までの遺跡が検出されています。

調査地の包含層(ほうがんそう)から土器片13点、石器14点が検出されました。
石器は、黒曜石製です。

調査地の包含地から広範にわたり石鍬(いしぐわ)1点、土器片148点が検出されました。
特に遺跡中央に集中して見つかっています。
この時期の出土例は県下でも少なく、貴重な資料です。

現在の町営第1駐車場北側で2基の遺構(5号・6号遺物集中)が見つかったほか、ほぼ調査地全域から土器が検出されました。
それぞれの地域から以下の土器が出土しています。
- 5号遺物集中 壺3点、高杯1点
- 6号遺物集中 甕2点、器台1点
上記遺構外 甕202点、壺174点、鉢類57点、ミニチュア14点、高杯42点、器台14点
(参考資料428ページ「第557図 底部による集計」より計数)
多量の土器が分散しているため、かつては出土した以外にも遺構が存在し、後世(古代)の竪穴建物が構築される際に破壊されたのではないかと考えられます。
相模湾を中心に駿河湾、房総半島の遺跡に散在して見られる大型の甕が検出されたのも特徴です。
大型甕の口径は30センチ以上で、大きいものでは50センチを超えることがあります。
出土した遺跡が太平洋沿岸に集中しており、製塩や漁撈に関連する道具とも推測されていますが、用途はわかっていません。
また、台付甕やひさご型の土器1点も出土しました。

遺構は竪穴建物90棟、掘立柱建物1棟、遺物集中7箇所、集石1基、土坑5基、ピット群3基、横穴1基が発掘されました。
時代ごとに1期から11期に分類されています。
建物数から考えると、天神谷戸遺跡はかなり大規模な集落を築いていたと考えられ、この遺跡を理解するのに欠かせない時代と言えます。
1期から4期は現在のふれあい広場内のみで出土し、5期以降は果樹公園側からも出土しています。
このことから、居住地域が西側から東側に拡大していったとも考えられます。
6期、7期には竪穴自体が特に多く建造されており、集団で居住していたのでしょう。
天平15年(743年)の墾田永年私財法により形成された可能性もあります。
墾田永年私財法
自分で開墾した土地を永年にわたり自分とその子孫が私有することができるという法律。
| 期 | 年代 | 該当竪穴 | 合計数 |
|---|---|---|---|
| 1 | 5世紀末~6世紀初頭 | 14、52 | 2 |
| 2 | 6世紀後葉 | 40、50 | 2 |
| 3 | 7世紀第2四半期 | 13 | 1 |
| 4 | 7世紀第3四半期 | 16、17、25、32 | 4 |
| 5 | 7世紀第4四半期 | 1、21、23、24、35、38、43、55、77 | 9 |
| 6 | 8世紀前葉 | 5、6、10、19、22、27、29、30、31、33、34、36、37、41、46、47、56、57、64、67、69、75、79 | 23 |
| 7 | 8世紀中葉 | 3、7、8、18、39、45、49、54、65、66、71、78、80、85 | 14 |
| 8 | 8世紀後葉 | 15、42、51、53、62、63、76 | 7 |
| 9 | 9世紀前葉 | 11、12、58、70、72、73、84 | 7 |
| 10 | 9世紀中葉 | 74、82、83、86、87、89、90 | 7 |
| 11 | 9世紀後葉~10世紀初頭 | 9、44、48、88 | 4 |
| ? | 年代不明 | 2、4、20、26、28、59、60、61、68、81 | 10 |

- 7世紀末期~8世紀初頭:1号遺物集中、2号遺物集中、3号遺物集中
- 9世紀前期:7号遺物集中、8号遺物集中
- 9世紀:9号遺物集中
- 9世紀末期~10世紀中頃:1号遺物集中
- 10世紀前期:4号遺物集中
【遺物集中】
ここで言う「遺物集中」とは単なる包含層出土遺物とは異なり、基本的に掘込みを持たず、何らかの人為的な行為による所産と判断したもの。
古代の出土品には、多量の土器片があります。
完全な形で出土したものはわずかで、6センチ以下の細片がほとんどでした。
ほかに、鉄製品が31点と、鉄製品と密接な関係にある砥石が11点、人骨、玉類なども出土しました。

中世の遺構は集石・集石土坑(しゅうせきどこう)が、現在の果樹公園駐車場付近で多数見つかりました。
土壌を解析した結果、集石土坑には埋葬に利用された可能性があることがわかりました。
これは中世に営まれた集石墓であり、谷戸の付近が中世の段階で墓域だったと考えられています。
このあたりに出土品は少なく、それよりも湿地帯に下った標高20から25メートルの付近に、多くの遺物が出土しました。
これらの遺物は生活のあとを示すものではなく、丘陵から廃棄されたか、流入したものと考えられます。
出土遺物は陶磁器が多く、特に炻器(せっき)が重量にして5キログラム以上も発見されました。
以下は陶磁器と土器の出土量です。このほかに1265年初鋳(しょちゅう)の咸淳元寶(中国・南宋時代)を含む緡銭(さしぜに)51枚、馬の下顎骨が見つかっています。
- 中国製磁器
白磁椀85.8グラム、白磁皿48.8グラム、青磁椀179.3グラム、青磁皿16.9グラムなど - 陶器(瀬戸窯)
卸皿21.2グラム、香炉56.6グラム - 炻器
渥美窯甕440.1グラム、常滑窯製甕・壺3297.7グラム、常滑窯製片口鉢1219.5グラム、山茶碗窯系片口鉢502.7グラム - 土器
在地製かわらけ428.2グラム、南伊勢系鍋12.5グラム、南伊勢系鍔釜20.6グラム
(参考資料487ページ、142表より計出)
(「炻器 陶器と磁器の中間の性質を持つ土器の一種。「焼しめ」とも言う。)
【近世に属する遺物は、調査地の全体から143点が出土しました】
- 磁器
肥前系碗・皿など680.2グラム・瀬戸美濃系碗42.9グラム・そのほか18.2グラム - 陶器
肥前系碗・皿35.7グラム、瀬戸美濃系碗・皿・擂鉢など756.6グラム、そのほか117.5グラム - 炻器
常滑窯製大甕939.0グラム、そのほか1083.1グラム - 上記以外の出土陶磁器類 290.3グラム
(参考資料492ページ、143表より計出)

所在地
二宮字天神谷戸
遺跡種別
集落址・遺物散布地
時代
縄文~中世
概要
1997年、高齢者住宅建設に伴う発掘調査を行う。
古墳時代前期の遺物が集中し、古墳時代後期~奈良・平安時代の集落を検出。
土師器、玉類などが出土。
参考文献
村上吉正他 2002「天神谷戸遺跡」財団法人『かながわ考古学財団調査報告』75
お問い合わせ
二宮町教育委員会教育部生涯学習課生涯学習班
住所: 〒259-0123
神奈川県中郡二宮町二宮1240-10
電話: 0463-72-6912
ファクス: 0463-72-6914
