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あしあと

    埋蔵文化財

    • [更新日:2023年2月25日]
    • ID:63

    昭和61年(1986年)年1月に神奈川県教育庁文化財保護課(当時)で実施した分布確認のための調査では、当町域においては、73遺跡が把握されています。その時期的な内訳は、旧石器文化期=1遺跡、縄文文化期=21遺跡、弥生文化期=10遺跡、古墳文化期~平安朝期=55遺跡、中世以降期=3遺跡となります。遺跡総計が90を数えますのは、時期的に2時期、3時期の重複する遺跡が存在するからであります。

    一見して、古墳文化期~平安朝期の遺跡数が卓越していますが、そのうちの19遺跡が古墳文化期の墳墓である横穴墓群であり、残る36遺跡が土師器(はじき)や須恵器(すえき)の散布地であります。大磯丘陵を対角線で二分した場合、その東南部に多くの横穴墓群が分布し、わが国でも有数の横穴墓群の集中する土地であることは、これまでの研究で広く知られていることであります。が、この横穴墓に対して、高塚式の墳墓=古墳の造営が極端に少ないことも特徴的でありまして、当町域も決してその例外ではありません。横穴墓群では、金銅製圭頭柄頭(きんどうせいけいとうつかがしら)や銅鍔(どうつば)などを出土した中里の諏訪脇横穴墓群や33基の確認された一色の大日が窪横穴墓群が著名であります。

    二宮町の主な遺跡の存在時期

    また、土師器や須恵器の散布地も数多く確認されていますが、一色の一色遺跡のように低丘陵地帯の平坦面に占地するものもありますが、“小余綾の浜"と呼ばれた海岸線に沿った海蝕(かいしょく)台地上の砂丘内に、広汎な遺跡の分布が確認されています。山西の前原遺跡の一部分でしか発掘は行われていませんが、その遺跡散布地の範囲は、東西約450メートル、南北約350メートルと認められ、さらに、ナンバー27遺跡(二宮町二宮馬場前の日吉原下道)とかナンバー62遺跡(二宮町川匂495番地付近)と仮称している遺跡群が連綿として続いているのであります。

    発掘調査された遺跡は少ないのですが、縄文文化期でいえば、一色の林ノ台遺跡では早期や中期の遺構や遺物が検出され、山西の平台遺跡では、中期を主体とした大量の土器や石器が採集されております。

    埋蔵文化財参観にあたってのご注意

    本ページに載せた埋蔵文化財のうち土器・石器などの考古遺物は、現在、資料整理の段階です。当面のところ、非公開とさせていただいております。
    大日ヶ窪横穴墓群(緑が丘古墳公園)以外の遺跡は、私有地のため参観できません。参観には所有者の許可を得てください。
    参観する場合はマナーを守り、節度ある態度で臨みましょう。

    お問い合わせ

    二宮町教育委員会教育部生涯学習課生涯学習班

    住所: 〒259-0123
    神奈川県中郡二宮町二宮1240-10

    電話: 0463-72-6912

    ファクス: 0463-72-6914

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