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あしあと

    お正月の行事

    • [更新日:2022年11月7日]
    • ID:14

    お正月には「鏡餅を供える」「神社や寺院にお参りに行く」「お節料理を食べる」など、今でも多くの家庭で行われている昔ながらの風習があります。お正月のしきたりは地域や家業によっても違いがありますが、年月とともに簡素化されるなど変化がみられます。ここでは昭和の初め頃のお正月をご紹介いたします。

    元旦

    元旦の未明、戸主は起きるとすぐに井戸に行き、若水を汲んで神棚に供えます。正月3が日または卯の日までは神棚の飾り付け、供え物の上げ下げ、食事作りは男性の役で、男性が雑煮を作り、神棚には焼かない餅、仏壇には焼いた餅を供えました。料理の下準備は女性がしておくものの、女性が起きるのは雑煮の具を刻む音がする頃で、料理作りに手は出しませんでした。
    雑煮には餅、大根、里芋を入れた家庭が多かったようです。一年が丸く納まるように、大根・里芋は丸く切り、醤油で味をつけました。オセチは人参・ごぼう・里芋・こんにゃくなどの煮物、落花生の煮豆、大根・人参のナマス、カズノコ、ゴマメ、キントン、羊羹、昆布、キンピラなどで、それらは重箱に詰められました。
    雑煮を食べる前には、福茶といって梅干を入れたお茶を飲んでから「今年も一家の幸福のためにお願いします」と家族で挨拶をしたり、膳にゴマメ、大豆、ヒゲ根のついたネギを2つずつのせ、銘々の前に並べておめでとうの挨拶をしました。大豆はマメに暮らせるように、ネギは白髪になるまで丈夫でいられるようにとの願いがこめられていました。神参りも男性が行い、地元の神や川勾神社に詣で、組内の年始回りをしました。
    子どもたちは新しい足袋、下駄、シャツ、時には着物をそろえてもらい、お年玉をもらいました。獅子舞や万歳が来るのも楽しみだったそうです。
    三が日は掃除をしてもゴミは掃き出さないという習慣もありました。福を掃き出すからといい、ゴミはふき取ったものです。
    漁に携わる家々には別の風習がありました。若水は汲まず、初日の出を拝む頃、戸主が桶を持って海岸へ行き砂を取ってきて門口へ撒きました。朝には角餅とダシを入れないでゆでた大根・里芋を船の一番上に置き、夕方には飯を炊いて、四角の盆にのせた二枚の皿に入れて供えます。初漁の時はフナダマ様に、元旦は丸餅と酒、酢の物、二日・三日は角餅と酒、酢の物を供えました。その後で、オズッキ(白木の丸い小皿)に浜の砂を盛り、大神宮・年神・火伏せの神・仏壇・カマドなどにその砂をパラパラと撒いてから、屋外の稲荷の前に残った砂を撒きました。船を出す際は、米を三合神棚にあげ、浜で米を撒いて、船の周りを回りました。

    二日

    初荷。朝早く起きて落花生の粒を揃えて品作りをし、障子紙に「祝」と書き、竹で旗を2本立て、荷をトラックに積んだり、旗を立てて正月用にとっておいた荷物を駅から商店に運ぶ風景が見られました。
    山初め・ウナイゾメは二日または四日に行われました。ウナイゾメとはその年に初めて田畑を耕すということです。中里地区では組内の戸主が揃って山へ行きノコギリで木を伐り、木の枝に餅を刺して来ます。畑には一文飾り(しめ飾りの一種)と鍬(くわ)を持って行き、一鍬入れました。

    四日

    一色地区や山西地区では四日にウナイゾメが行われました。前年の暮れから鍬・鎌に付けておいた一文飾りと、お供えの下に敷いてあった半紙に細かく切った餅を包んで畑に行きます。アキノカタ(恵方=その年に幸せを運んでくる方角)に向かって「おめでとうございます」と礼をし、畑を三鍬ほどうなります。持っていった餅はそこに供えてきますが、カラスやネズミに食べられた方が良いと言われました。帰りに山で榊を取り、帰ってから神棚に榊と御神酒を供えました。

    いろいろな正月飾り

    いろいろな正月飾りのイラスト

    『二宮町郷土史』二宮町教育委員会編 昭和31年(1956年)より

    1. 玄関飾り
    2. そなえもち(床の間)
    3. ごぼうじめ(神棚)
    4. おかざり(門に飾る)
    5. かど松
    6. しめかざり
    7. たまかざり
    8. しめかざり(火神様や井戸神様等)
    9. ザンザラ(氏神様へ)

    参考

    • 『二宮町郷土史』二宮町教育委員会編 昭和31年(1956年)
    • 『二宮町民俗調査報告書』二宮町教育委員会編 平成9年(1997年)