ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

あしあと

    昔のドンド焼き(道祖神の思い出)

    • [更新日:2022年11月7日]
    • ID:525

    昭和31年発行の『二宮町郷土誌』には、本梅沢と茶屋に住む中学2年生の子どもの頃の思い出として、今はなくなってしまった、ドンド焼きの前に行われた道祖神にまつわる行事が次のように記されています。(要約)

    毎年12月20~25日頃までに組み立て式の小屋を建てます。小屋の中には「さいの神」と「せんこたて」を3つ運んできて小屋の中央に置きます。この時以前から伝わっている「ひょうたん石」も持って来ます。もともと「さいの神」や「せんこたて」があったところには前の年のお札やダルマなどを預け、また、大掃除の時に使った竹や、門松に使った竹や松も納めて置きました。これらのものは1月14日に燃やします。

    ドンド焼き_思い出

    子ども達はこの小屋か大将の家で、おでんやたい焼きを作ったり、おサカキやお札を売ったり、夜、踊りをしたりしてお金を手に入れました。材料や道具(たとえばウドン粉、炭、こんろ)などは、めいめい、それらの物がある家から持ち寄り、できあがったら学年の下の者たちが売り歩きます。お札は正月にお供えを神様にあげる時に下に敷いた半紙を各家から集めてきて右のように作ります。踊りは夜で寒いので、小さい子どもは参加しません。大将は金入れを持ち、それに次ぐ者は、まじない(「ハーラエタマエ、キーヨメタマエ、福の神が舞い込むように」)を唱えたり、太鼓をたたいたりし、あとの者はお面をつけて踊ります。

    14日は最後の夜なので普通の日よりたくさんの物を売ります。きんぴら、煮しめ、おでん、ぬた、などを作ってもらい、ごちそうが全部出そろったら小屋の中で皆が「まいらっせ、まいらっせ、さいの神様まいらっせ」と歌ってお参りに来るよう誘います。そこでお参りに来た人はお賽銭を入れ、線香を立てて、好きなごちそうを買って帰るのです。14日のだんご焼き(ドンド焼き)をする前には「おぼし飯」(赤いご飯)をおにぎりにして一軒一軒に配って歩きました。これはその家族が少しずつ食べる習わしとなっていました。

    道祖神はカゼの神様といわれることから、だんご焼きを行う前には病気がつかないようにと、正月のお飾りで体をさすったりもしました。だんご焼きが終わったら、焼けかけた松の枝を少し拾ってきて、それを15日の朝のおかゆを作る時に一緒に燃やすことは「かいのはしら」と呼びました。

    道祖神で得たお金の取り分は大将が一番多く、次に学年順に分けます。お金は道祖神をやった者だけでなく、小さい男の子がいる家や道祖神をやっていない家などにも、少しずつですが配りました。14日にもらったお金は16日の吾妻様(吾妻神社)のお祭の時に使いました。だから吾妻様のお小遣いとしておかあさんからもらわなくてもよかったということです。

    道祖神でお金を得たという話は平成9年発行の『二宮町民俗調査報告書』にも載っています。それには、通川匂の男の子たちは1月14日に「マイコメ、マイコメ」と各家を回ってオヒネリをもらい、集めた現金を高学年には多く、順次低学年には少なく分配していたこと、正月飾りや竹などで小屋を作り、中でふかし芋やお菓子を食べたことが綴られていますが、昭和18年に中止になったそうです。

    このように子どもたちが道祖神でお金を得て分配するという行事は、二宮町内のどの地区でも行われていましたが、遅くとも昭和20年代始めにはなくなったと思われます。

    しかし、ドンド焼きの風習は受け継がれ、現在でも「ドンド焼きの火で焼いただんごを食べると風邪をひかない」「書初めの紙を燃えている火にくべると字がうまくなる」と言い伝えられ、各地区で続けられています。

    参考

    • 『二宮町郷土誌』二宮町教育委員会編 昭和31年
    • 『二宮町民俗調査報告書』二宮教育委員会編 平成9年