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あしあと

    二宮かるた

    • [更新日:2022年11月7日]
    • ID:50

    「二宮かるた」は昭和61年、二宮町が町制50周年を迎えるにあたり製作されたいろはカルタです。当時の小学校5年生以下の児童に配られました。

    町の歴史や文化財が織り込まれた内容で、絵札も町内美術団体が描いたものです。このカルタについては、以前数件のお問い合わせをいただいています。すでに市販はしていないため、このたび印刷して遊べるよう、全札を掲載することになりました。

    むかし遊んだ記憶がある方も、二宮町についてよく知らない方も、これを機会に町に親しみをもっていただければ幸いです。

    なお、下の説明文は絵札の裏面に書かれているものです。

    町制施行50周年記念 二宮かるた

    一里塚日本橋から十八里

    二宮かるた「い」

    江戸時代東海道に一里塚が作られた。
    山西「茶屋町」にその遺跡がある。

    老人もみんな元気に長寿の里

    二宮かるた「ろ」

    二宮町は古来長寿者が多く、新聞紙上に長寿の町と宣伝された。

    春は桜秋は紅葉の吾妻山

    二宮かるた「は」

    吾妻山は町の中央にある標高一三六米、春は桜、秋は紅葉が美しい。

    二宮の庄司一族弓矢の名手

    二宮かるた「に」

    鎌倉時代二宮の庄司一族は代々弓矢の名手として吾妻鏡に誌されている。

    盆踊り二宮音頭で賑やかに

    二宮かるた「ほ」

    「ここは天下の長寿の里よ」で始まる二宮音頭は毎年盆踊りで唄いつがれる。

    平和を願うガラスの兎

    二宮かるた「へ」

    昭和五十六年二宮駅前に平和と友情のシンボルとして建立された。

    等覚院由緒も深き藤と鐘

    二宮かるた「と」

    藤巻寺ともいう。白藤の古木と江戸初期の釣鐘はいづれも町の重要文化財。

    茶屋の薬師は一丈六尺

    二宮かるた「ち」

    川勾神社の入口にある。丈六の薬師として親しまれている。町の重要文化財。

    立春に古梅が匂う蘇峰堂

    二宮かるた「り」

    文豪徳富蘇峰は晩年よくこの地を訪れた。蘇峰記念館と古梅の名園がある。

    濡れ小袖櫛もともども埋め沢

    二宮かるた「ぬ」

    弟橘媛の袖と櫛が流れ着いたのを埋めたので埋沢といい梅沢となった。後に吾妻山に祀った。

    るり色の相模の海で地引網

    二宮かるた「る」

    雄大な相模湾を目の前に力一杯地引網を引くのもまた楽しい。

    若者のみこしが勇む夏祭

    二宮かるた「わ」

    七月は夏祭りの季節、一色・中里・本町・二宮・山西のみこしが錬り出す。

    川匂には相模二宮大明神

    二宮かるた「か」

    川勾神社は師長の一の宮だった。相模の国が出来た時二の宮となったという。

    養蚕の先達滝沢藤十郎

    二宮かるた「よ」

    信州の人。薬の行商をしながら養蚕の普及指導に貢献した。中丸西長院に寿碑がある。

    大応寺万年さんの墓所

    二宮かるた「た」

    江戸時代万年堰万年堀を作り新田を開発した万年氏の墓がある。

    霊峰を軒端に望む富士見が丘

    二宮かるた「れ」

    秋葉山・田代地区が開発され住宅街となった。富士山がよく見えるのでこの名がつけられた。

    曽我兄弟姉の花月に励まされ

    二宮かるた「そ」

    曽我兄弟の姉花月は二宮太郎朝忠の妻で二宮に住んでいた。兄弟がしばしば訪れたという。

    月の雁石鼎の句碑知足寺に

    二宮かるた「つ」

    俳人原石鼎は昭和十五年から二宮に住んだ。その句碑が知足寺にある。

    念佛は阿弥陀如来の浄源寺

    二宮かるた「ね」

    一色の浄源寺には平安時代の阿弥陀像がある。町の重要文化財。

    梨桃の原木残る試験場

    二宮かるた「な」

    二宮園芸試験場には菊水・幸水・白鳳等の原木がある。県の天然記念物。

    落花生新種育てた庄兵衛さん

    二宮かるた「ら」

    篤農家二見庄兵衛は立ち落花生を発見育成しこれを県下に広めた。

    昔から漁師のうたう祝い唄

    二宮かるた「む」

    二宮船唄は漁師の祝い唄、作業唄として古くからうたわれた。

    梅沢は昔栄えた間の宿

    二宮かるた「う」

    江戸時代大磯と小田原の間の宿として繁昌した。

    のんびりと軽便走った秦野道

    二宮かるた「お」

    明治から昭和十二年まで二宮―秦野間を軽便が走っていた。

    楠が歴史を語る二宮小

    二宮かるた「く」

    二宮小は二宮で一番古い小学校。校庭に楠の大樹がある。

    山西と中里結ぶ釜野トンネル

    二宮かるた「や」

    明治三十年素掘りのトンネルが貫通した。昭和五十三年改修が完成した。

    万葉に古今に詠まれた余侶伎の浜

    二宮かるた「ま」

    万葉集・古今集など古くから余侶伎の浜が歌に詠まれた。

    健康で楽しい町の体育祭

    二宮かるた「け」

    毎年秋の体育祭は町民総出の楽しい祭りである。

    風雲児東京屋敷の卯三郎

    二宮かるた「ふ」

    露木卯三郎は一色に豪邸を構え金融業を営み、明治十七年非業の死をとげた。

    国府祭神揃山の座問答

    二宮かるた「こ」

    中世から続いている神事。寒川神社と川勾神社が相模一の宮の地位を争うものと言われている。

    駅の碑に伊達氏の徳が偲ばれる

    二宮かるた「え」

    二宮駅の開設をはじめ二宮の発展に功績のあった伊達時の顕彰碑が駅南口にある。

    電話線太平洋の果までも

    二宮かるた「て」

    国際電々二宮中継所は世界を結ぶ海底電線の揚陸地点である。

    吾妻さん橘媛は縁結び

    二宮かるた「あ」

    弟橘媛を祀る吾妻神社の大祭は一月十五日。縁結びの神として信仰されている。

    西光寺榧の大木五百年

    二宮かるた「さ」

    川匂の西光寺の榧は樹齢五百年といわれる。町の天然記念物。

    鱚もよし釣人賑う袖ヶ浦

    二宮かるた「き」

    袖ヶ浦は磯釣りの名所でシーズンには釣人で賑っている。

    百合の花匂いゆたかな丘の街

    二宮かるた「ゆ」

    名匠といわれた周助宮大工

    二宮かるた「め」

    江戸時代から代々周助を襲名、宮大工神輿大工として名を残した。

    民権の闘士水島保太郎

    二宮かるた「み」

    中里に生れ教育に意を注ぐと共に自由民権運動に奔走。県会議長。衆議院議員になった。

    縄文の早期の遺跡林の台

    二宮かるた「し」

    一色の西北、林の台から縄文早期の住居趾と土器片が見つかった。

    火の神は秋葉の山の御社

    二宮かるた「ひ」

    秋葉神社は火の神、迦具土を祀っている。

    元は五ヶ村併せて中郡吾妻村

    二宮かるた「も」

    明治二十二年一色・中里・二宮・山西・川匂の五ヶ村が合併、吾妻村となった。

    千年の昔を語る塩海橋

    二宮かるた「せ」

    文献に現れた二宮の最古の地名霜見郷が塩海となり橋の名として残った。

    すこやかに町制施行五十年

    二宮かるた「す」

    昭和十年町制が施行されてから今年で五十年である。

    印刷用にPDFファイルを用意しました。

    文字列をクリックするとダウンロードできます。

    二宮かるた(PDFファイル)

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    二宮町教育委員会教育部生涯学習課生涯学習班

    住所: 〒259-0123
    神奈川県中郡二宮町二宮1240-10

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